当時の仏弟子たちは、修行中ゆえにみんな働き者でした。 しかし、後世に伝わった仏教の修行僧のイメージでは、ひたすら瞑想に明け暮れて怠惰に過ごしているように見えます。 しかもこの瞑想が修行の実を伴っていないので大変問題です。 つまり仏教が、時を経てヒンズー教化してしまったといえます。 本来の仏教の瞑想とは、自分の「知力」や「思考力」を向上させるために行うものですが、 現在の仏教の瞑想は、ただぼうっとして安逸を貪っているだけです。 当時の仏教僧は、瞑想の合間に様々な行(仕事)を行っていました。 つまり、生活のた ...