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安楽死がもたらす未来(2024年2/19)

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【質問】

今、世界には、10か国以上で自殺ほう助、6か国以上で積極的安楽死が認められているそうです。

日本でもALS(筋萎縮性硬化症)の患者が医師に依頼した嘱託安楽死事件が起こり、合法化されていない日本では、例え本人の望みでも「殺人」に当たるのではないかとの議論がなされています。


もし将来、安楽死が日本でも合法化されるなら、どんな未来がやって来る可能性がありますか?



【答え】

原初の生物にとっては、「死」とはそもそも「安楽」なものでしたが、人は死に対して「苦痛」と「恐怖」を感じます。

そのために生きることへの強い欲求が湧いてくるとも言えます。


今問題になっている「自殺ほう助」や「積極的安楽死」を合法化している国がありますが、



安楽死は、そもそも持続不可能な制度です


なぜなら安楽死の制度とは、実は安楽死をさせる側にとって都合の良い制度なのです。

日本でもし安楽死制度が合法化されれば、社会の姥捨て山になり得ます。

周囲の人にとって本人が生きていることが不都合な場合に、安楽死を選択することを社会が強要する可能性があるからです。



そういう「社会にとって都合の良い安楽死制度」が普及すればするほど、生き残ることが出来るのは、社会から「安楽死」を強制されることに対して「強い拒否力」を持つ人間だけになります。

そうなると、残るのは安楽死に恐怖を感じる「安楽死反対派」ばかりになり得ます。

そして安楽死が繰り返されると、安楽死したい人の種は、淘汰されてなくなる可能性があるのです。


例えばギロチンに対してはどんなイメージがありますか?

元々ギロチンが発明されたのは、処刑時の苦痛を減らし安楽に死なせることが目的でした。

当時の処刑は、斬首、釜茹で、火あぶりなどで、大変な苦痛を与えていましたから何とかその苦痛を無くそうとしたのです。

にも関わらず、今やギロチンが、恐怖の対象になっています。



このような精神的拒否感の問題だけでなく

「安楽死」の手法そのものが、やがて人という種に効果が無くなる可能性があるのです。

つまり、現在使っている安楽死の薬剤などに対する耐性が人側に発現して、簡単には「安楽死」出来なくなる可能性があるのです。

その場合は、もはや「安楽死」等では無く、薬剤の苦痛と戦いながら亡くなってしまうような事になりかねません。



つまり「安楽死」が何世代にも渡ると、過去の安楽死の手法では安楽に死ねなくなる可能性があるのです。





「病気の苦しみ」を減らす為に「安楽死」を選ぶのは致し方の無いことです。

末期がんの人がホスピスに入院することがありますが、これも一種の安楽死と言えます。

この場合は、本人と家族の為にやむを得ない、必要な制度と言えます。

それ以外の理由で安楽死を選ぶのは

負のカルマ」を押し付けられた人です


つまり、本人の存在が社会の重荷であると決めつけられて、安楽死を強要されることになり得るのです。


そうやって安楽死を強要すると、問題が一時的には解決したように見えます。


しかし、実際の社会的な状況はどんどん悪化していくでしょう。



なぜなら、そういう人たちの存在は、社会システムの不備によって必然的に発生したものなので、そこに穴が空く(いなくなる)と、別の人が必ず穴を埋めるようになるからです。


結局、次に「安楽死を強要される立場」に入る人は、安楽死に恐怖を感じる「安楽死反対派」になるのです。

そうなるともはや安楽死は、ギロチンのように恐怖の死、さらに毒殺の様な苦しい死でしかなくなるのです。

結局、安楽死は続かなくなります。

これが、安楽死制度のカルマが極まった状態です。


社会的な安楽死が強要される制度は、社会の負債を誰かに押し付けたい表れです


社会的なお荷物になる人に、積極的に安楽死を勧める制度は、

社会の負債を誰かに押し付けたい」という社会全体が持っているタンハー(渇愛、限りない欲求)を満足させるために作られた制度といえます。


タンハーはその欲求を満たすため(歪んだ世界観を実現するため)に採算を度外視して際限なくエネルギー(お金と労力)を注ぎ込むことになるので、いつか必ず社会のお荷物(見合わない負のエネルギー)になり、破綻します。


だから安楽死制度長続きしなくなるのです。

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