【質問】
因果応報とは真実か?(2024年1/31)
上の記事の中で、悪いことをする者を「裁きたい!」という感情は、人類に共通のタンハー(渇愛・本能のようなもの)だと述べられていました。
そしてその結果カルマを積み上げている、とも述べられています。
この人類に共通の「裁きたい」タンハーについて、どんなところに表れているのか、積むカルマとは何なのかを教えてください。
【答え】
人類が抱えているタンハー(渇愛)である「裁きたい」は、「ルールからはみ出した者を裁かなければ気が済まない本能」のようなものです。
この裁きたい衝動は、使い方によっては悪ではないのですが、極まると様々な悪影響をもたらします。
裁きたい衝動は、国家を維持するパワーを与えます
ルールからはみ出た者を裁きたい衝動は、使い方次第では悪ではありません。
悪いことをする者を制するというパワーは、やがて権力となって国家を作る原動力になります。
この裁きたいパワーは、国家を維持する力を与え、国家に仇(あだ)なす者を裁きます。
それゆえに、国家の規範が維持されて、法律や裁判を生み出す元になります。
衝動であるタンハー(渇愛)は、行き過ぎると悪影響を与えます
ルールからはみ出した者を罰したい衝動は、行き過ぎると「超保守」となります。
つまり、規範からはみ出すものをバッシングし続けることで、社会規範からはみ出るような革新的な発明や発見が阻害されるようになります。
超保守状態になると、裁くこと自体が目的になり、新しいことをとにかくバッシングして現状維持に固執するようになり、退廃的になって進化発展が止まってしまいます。
ローマ帝国が滅んだ理由も「権力の超保守」に傾いたことによります。
国家の進歩発展が阻害されると国力が低下していきます。
これが、極まった「裁きたいタンハー(渇愛=衝動)」が国家に与える悪影響と言えます。
タンハー(渇愛)とは中毒のようなもので、必ず行き過ぎて極まることになります。
そうなると、積みあがったカルマがひっくり返る「陰陽転化」が起こることになります。
つまり、国家の衰退期に入って誰にも止められなくなるのです。
現在の日本に「超保守」の傾向が無いか、一度よく観察してみることが必要です。
裁きたい衝動が極まると「出る杭を打つ」ことで国力が低下します
裁きたいタンハーは、「出る杭を打つ」という形で極まっていきます。
そして、ルール破りの奇想天外な革新的発明発見を弾圧することで、国力を低下させます。
アジアにある某二国はその例となります。
両者とも仏教国ですが、仏教の戒律を破る者を裁く国家体制となっており、
この両国においては仏教が、戒律を破るものを裁く宗教に成り下がっています。
この体制は、本来の仏教からかけ離れています。
彼らが保守しているのは、歴史であり仏教ではないのです。
故に国家としての進歩発展が阻害され、国民が極貧の状態に置かれています。
本来の仏教の知恵とは
本来の仏教においては、
自然をありのままに観察して法則を見つけ、そこから知恵を得て進歩発展することを目指すものです。
進歩発展するためには常にイノベーションが必要です。
諸行無常の所以です。
裁きたい衝動は人間に特有のものであり、人類が言葉、文字、概念が理解できるゆえに起こる、本能的な衝動です。
動物には裁く衝動は薄いのですが、縄張り意識があり、それを犯すものを本能的に攻撃します。
裁きたい衝動は、国家を成り立たせる元になる側面はあるのですが、過度に人を裁き過ぎると、新しいことが何も出来なくなって進歩発展が阻害されます。
これは、宗教についても言えることです。一度考えてみる必要があります。
今後、人がさらなる発展をするためには、「本能的な裁きたい衝動」を自己コントロールする必要があります。