★子供を生み育てることが会社の足を引っ張ることになるので、申し訳ないと遠慮するのを強要する風潮がある
★労働者側が企業と上司を神格化しているために自分自身の利益よりも会社の都合を優先してしまう
などについて説明しました。
そしてこれらのことは日本社会の構造的な問題であり、遡れば戦後の教育に端を発していることを述べました。
その戦後の教育は、米国進駐軍によって与えられたのですが、この教育方法とは、実は「アメリカ社会における戦前の教育方法」だったのです。
つまり、現代のアメリカの教育方法とは異なる「アメリカの昔の教育方法」なのです。
現在のアメリカの教育方法とどこが異なっているのでしょうか?
日米の教育方法の違いを比べてみると良く分かります。
①「なぜ学校に行くのか」
日本・・義務教育なので学校に行かなければならない
米国・・自分を磨くために学校に行く
②「個人の個性と能力への評価」
日本・・どのような人にでも分け隔てなく一律の教育をあたえる。そのために底辺の人に合わせて落ちこぼれを作らないようにする。
米国・・各々の才能に適した専門性を学ぶために、科目の選択、飛び級等があり、夫々の違いを個性と捉えて尊重する。
「結論」
比べてみると日本の教育は画一的で、個人の能力を育て伸ばす教育方法ではないことが分かります。
特に能力に凸凹がある個性派は、偏差値教育によって、才能が潰されてしまう可能性があります。
実は、日本の戦前の教育方法は、もっと自由で個性を尊重したものだったのです。それが戦後ガラリと変わってしまいました。
それでは、戦後に米国からもたらされた米国の戦前の教育方法の正体とは一体何だったのでしょうか?
実は、米国は日本人を末端の兵士として利用したかった歴史があるのです。米国がアジアを支配するために、日本人を兵士として朝鮮戦争に派遣させよう、という案が議論されたこともあります。
「戦前の米国の教育方法の正体」
戦前の米国においては、世界戦略の為に有能な兵士を必要としており、一律の銃を上手く撃つための能力の高い兵士を量産することが必要とされていました。
そのために必要な一律の教育を施し、能力が揃った使いやすい兵士を養成する機関を作らなければならなかったのです。
これは、アメリカ南北戦争によって「一律の能力を備えた工場労働者を揃えた北軍」が、「言いなりの黒人奴隷を支配していた南軍」に勝利したことと無関係ではありません。
だからこの勝利した北軍に倣って、他民族を兵士という製品に作り上げるために、画一的な教育を施す必要があったのです。
製品とは、均質化がものを言います。だから均等な能力をもった人間が必要になるのであって、そのグループから抜きんでてはいけないことになります。
正に米国よりもたらされた日本の戦後教育とは、当初はそういう粒の揃った兵士を養成する為の教育方法だったのです。