女子大生が風俗で働くわけNo.2・現代日本は女性が非力でも道められる社会
女性が社会進出するための条件(女子大生が風俗で働くわけNo.3)
【質問】
上記No.1~No.3の記事から、戦前の女性は、戦後の女性よりも働き者だったそうですが、それは戦前の女性の地位が低かったからですか?
戦後の女性が働かなくなったのは、地位が高くなったからですか?
なぜ女性の渇愛(タンハー)が企業や小売業者に対して過剰なサービスを求めるのですか?
【答え】
「女性の社会進出」と「女性の生産性」は、実は無関係なのです。
戦前の女性たちは、みんな生産業に従事していました。
殆どが農業と家事、育児に従事しており、この時代の女性たちの労働生産性は非常に高く、同時代の男性たちを上回っていました。
この時代は、女性が経済を回していると言っても過言ではなく、女性がいなければ家事、育児のみならず家業も立ちいかない状態でした。
ゆえに、男性は家庭で女性には頭が上がらず、意外と亭主関白では無かったのです。
家庭の実権は、実は女性が握っていました。
一方、戦前の男性たちは命を張るような、危険な仕事や役回りを担っていました。
このことによって、男女の帳尻が取れていたのです。
戦後のバブル期には男性が過去には類を見ない位、女性に対して威張っていました
そうなった理由は、戦後の、特にサラリーマンの妻である専業主婦たちが、働かなくなったからです。
家業が無くなり、家事も機械化で簡単になり、育てる子どもの数も減ったために、妻たちが楽で恵まれた人生を送るようになったのです。
この時代にサラリーマン等の主婦で、外に出て働く人は殆どいませんでした。
また、働ける職場も限られていました。
ゆえにこの時代の一般の主婦は、ひたすら夫の稼ぎを当てにせざるを得なくなりました。
そうなると必然的に、稼ぎ手である夫に頭が上がらなくなります。
反対に夫たちは、自分が養っている妻を随分下に見るようになりました。
この時代の妻たちは、夫に見下されながらも専業主婦の立場を誇らしく思っていました。
稼ぎのいい夫に恵まれることで、女性としての社会的階級(ヒエラルキー)が高くなる、という意識があったからです。
この時代の女性たちの階級の序列は、圧倒的に専業主婦の方が働く女性よりも上でした。
専業主婦たちは、働いている女性を「夫の稼ぎが悪くて働かざるを得ない悲運な人たち」と下に見ていたのです。
今では理解できない心理ですが、男性側も妻を外で働かせることに、夫の立場として恥の感情を持っていました。
良家の主婦は外で働いたりはしない、という暗黙の了解があったのです。
実は、この女性間の階級(ヒエラルキー)の意識差が女性のカスハラ(カスタマー・ハラスメント)を生み出したのです。
女性のカスハラは、働く女性を見下すことで生まれました
商品やサービスを提供する人に厳しく当たって、過剰なサービスを要求する消費者の行為を「カスハラ」(カスタマーハラスメント)といいますが
このカスハラ傾向は、男性消費者が女性店員に要求するより、女性消費者が女性店員に要求する方が圧倒的に多い現実があります。
この原因は、女性同士のヒエラルキー(社会階級)におけるパワハラから来ています。
言い替えれば、自分の方が働く女性よりも社会的階級が上だと思い込んでいる専業主婦などが、働く女性を見ると見下したくなる「ヒエラルキー上位という驕り」が原因なのです。
一方男性は、社会に出て働いている人が殆どなので、社会的な体面というものを重んじるため中々カスハラにはなり難い傾向があるのです。
男性の過剰な要求は、家庭の妻に向けられることが殆どなのです。
実は、このカスハラによる過剰な要求が日本社会に多大な負担を与えています。
顧客に対する過剰なサービスが、企業や店舗のコストになっているのです。
顧客の過剰な要求に答えるために、企業や店舗の男性社員があくせく働かされる羽目になり、また男性社員の妻も夫を支えるためにあくせく働く必要が出てくるのです。
ゆえに、カスハラ女性の過剰な要求が、日本人と日本社会全体の自由を奪っていると言えます。
「自分よりも下の人に言うことをきかせたい」・・つまり「自由を奪ってやりたい」という、本能の様な女性のヒエラルキー社会のタンハー(渇愛)が、巡り巡って女性自身の自由をも奪ってしまうのです。
そして勤労女性は、企業で働いてもカスハラ女性に対峙することを嫌い、請われても責任のある役職などに就きたがらなくなったのです。
女性が輝くために必要なこと「現代女性が職場で出世したくない事情」(女子大生が風俗で働くわけNo.5)に続きます。