【質問】
わいせつ行為を繰り返す「社会のルールを守れない人」との距離は?(2024年4/20)
上の記事の中で、
『そもそも犯罪を進んで行う者は、その社会に従う気がゼロなので、社会の決まりで罰しても無意味になります。
つまり、罰することでは止めさせることは出来ません。
もし、その加害行為にカルマ返しを願うならば、
それはまるで信心深いクリスチャンが、
キリスト教を信じない者全てが、悪魔に取り憑かれたり、地獄に落ちたりすることを、願うようなものです。』
『被害を未然に防ぐためには、ルールを守ろうとしない者に、無理に押し付けないことです。
触れるとヤバいタイプの人間は、野生動物かエイリアンだと思って、必要以上には手を出さないことです。
相手次第では、手を出すと火傷するかもしれないことを意識してください。』
と書かれてあり、考えさせられました。
どうしてもルールを守らない加害者に対しては、「罰が当たる」ことを願う気持ちが捨てきれない気がします。
またそういう人を避けて放っておいても、接触せざるを得ない時が来た時にどう対処すればいいか分かりません。
罰が当たることを願う気持ちおよび実際に接触してしまうような時の対処法を教えてください。
【答え】
キリスト教の長い歴史において、異教徒は常に動物と同じ扱いをされてきました。
このことは現代においては、間違ったこととされていますが、実は現代にも参考になるところがあるのです。
キリスト教界において、異教徒とは「キリスト教の規範に従わない者」になります。
キリスト教が絶対的な社会規範だった過去の欧州においては、キリスト教に従わない者は、人として扱わなくてよい存在とみなされたのです。
「人として扱わない」というのは「対等な人間として扱わなくてよい」ことを意味しており、言い替えれば「冷たく距離をあけた方が良い」ことを意味しています。
現代社会でも社会の規範に従わない人が、一般人に迷惑をかけても全く反省せずにその加害行為を繰り返すことがあり、
それは丁度、過去のキリスト教世界における規範破りの異教徒の存在と重なります。
犯罪行為を繰り返す現代の加害者は、社会規範から逸脱しており、別の規範の世界(無法者の世界)で生きていると言えます。
ゆえに、加害者にはなるべく距離をあけて近づかない方が良いことになります。
こういう状況に遭遇した時に、気を付けねばならないことがあります。
あらゆる人を「自分と同じ世界の対等の人」として「ルールに従う」ことを強要すると、カルマを積みます
現代人は、「人はみんな平等」と教育されます。
ゆえに全ての人を自分と対等な人間として扱おうとする傾向が強いのですが、
この時に「対等」という意味を「同じ規範の世界に住んでいる」意味と取り違えると
自分の思想(自分の世界の規範)を相手に強要することになります。
するとこれはキリスト教でいえば、「異教徒に対してキリスト教に改宗することを強要する」ことと同じ意味になるのです。
すると「自分の思想を相手に強要することになる」のでカルマを積むことになります。
良かれと思う動機であっても、残念ながらカルマを積むのです。
ゆえに無法を働く者に対しては
毅然とした態度で、距離を置く、他の人に相談する、或いは警察に通報することがベストとなります。
もしそれでも犯罪者をどうしても許せない気持ちが強いならば、その人は「犯罪者を許せないタンハー(渇愛)」を持っており、また別のカルマを積んでいくことになります。
仏教に於ける法(ルール、社会規範)の学び方
以下は、仏教に於ける社会規範(法、ルール)を学ぶ手順です。
①先ず、社会規範(法、ルール)を学びます。
②学んだことを日常生活において順守することに徹します。
③さらに法を、日常生活にいか運用し適切に適用するかを追求します。
上記で分かる通り、本来の仏教の教えでは、法とその運用や適用は学びますが、違反者を罰したり法を強制するようなことは一切ありません。
もし、犯罪者を過剰に罰しようとする人がいるならば、カルマ的には自分の方が、前世又は今生でルールを破る側の人間だったのでしょう。
だからルールを破るのが許せなくなるのです。
大切なことは、自分がどう対処するかであって、許すか許せないかと言う話では全く無いということです。