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カルマを製造する「渇愛(タンハー)」は、無明(むみょう)から作られる(2023年10/7)

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【質問】

カルマと因縁と渇愛(タンハー)の関係は?

上の説明より

人の「苦」とは、その人が持っている「渇愛(タンハー)」が作り出す「堆積物(カルマ)」であることが分かりました。

そして人は、渇愛(タンハー)を複数持っていることも分かりました。

それでは、人の渇愛(タンハー)は、どうやって作られるのでしょうか?




【答え】

渇愛(タンハー)は、人の無明(むみょう)から生じる故に、幾らでもあり得るのです


この世の全ての「物理現象や森羅万象の営みによって生じているもの」を、広義な意味では全て「因と縁によるカルマ」と言うことが出来ます。

ゆえに人の肉体的苦痛も、カルマによるものであり、逃れ得ない部分が有ります。


「苦」の中でも、人にとって「耐え難い精神的苦痛」がある場合は、渇愛(タンハー)が原因である可能性が大です。


以前にも説明した通り、カルマ(苦痛)というのは単にそこに存在しているだけですが、渇愛(タンハー)はカルマ(苦)を作り続け、積み上げ続けます


自分の持っている渇愛(タンハー)がカルマ(苦痛)を作り続けているにも関わらず、人がそのことを理解できていないことを「無明(むみょう)」と言います


渇愛(タンハー)は、とにかく目の前にあるエネルギーを貪り食うように、人をコントロールします。

そうやって刹那的な快楽を、人が貪るようにけしかけるのです。


この貪り食いは、何か目的をもって行動しているのでは無く、刹那的なものです。

刹那的な快楽(実はこれこそが真の目的)を求め続ける結果、人はカルマを積み上げて「苦」を作り続けることになるのです。




渇愛(タンハー)から生ずる「苦」には以下の2種類のタイプがあります



渇愛(タンハー)から作られる「苦」には、以下の2種類があります。


渇愛(タンハー)を発揮したくとも出来ない時の「欲求不満」の苦しみ

渇愛(タンハー)を発揮したことによって「カルマ(苦)」を積み上げたことから来る苦しみ


つまり渇愛(タンハー)は、発揮されてもされなくても、どちらにしても「苦」を作るのです。


そして渇愛(タンハー)は、エネルギーが足りない状態でなければ発動できないので、どう転んでも常に足りない状態を作り出します。

ゆえに、例え人がどんなに現実からエネルギーを貪ったとしても、満足できなくなります。


では、人は、どんな時に渇愛(タンハー)を作ってしまうのでしょうか?



渇愛(タンハー)は、ありとあらゆる決めつけの蓄積から生じます


諸行無常という言葉がある通り、世の中は常に流動的で変化します

色即是空 空即是色 もそのことを表しています。


ところが人は、何かにつけて「こうだ」と決めつけたがる傾向があります。


自分はこうだ・・自分は偉い・・自分は賢い・・尊敬される人物だ・・

世の中はこうである・・人は金によってコントロールされるものだ・・等々



人が「こうだ」と決めつけた瞬間に、その人から見える世界の、流動的だったエネルギーの流れが、ストップします

このエネルギーの流れを止めるのは、人の「念力のパワー」とも言うべき「強い想念の力」です。


そして、エネルギーが堰き止められると、そこにエネルギーの不均衡が起こります

この不均衡が、その人の見る世界を歪めるのです。


そして人は、この歪んだ世界を真実の世界と勘違いして、本物の現実だと思い込むことになるのです。



こうやって一つの無明(むみょう)が完成するのです。

このようにして、現実のエネルギーの不均衡が、「苦」を作り出すのです。


ゆえに無明(むみょう)を解消するには、渇愛(タンハー)を滅しなければならないのです。

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