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あなたはどう生きるか No.2・・過去にとらわれると人生が無為になる・・動画の仮想現実にコントロールされる(2023年8/23)

あなたはどう生きるかNo.3 ・・過去の記憶から進化発展するコツ(2023年8/27)

あなたはどう生きるかNo.4 ・・トラウマから抜け出す(2023年8/30)

あなたはどう生きるかNo.5 トラウマは「社会規範」によって作られる(2023年9/3)



社会規範によって「個人のトラウマが強制的に作られる」場合があることを前回話しました。

そして、その解決法として社会規範によるコントロールから脱して、「清濁併せ呑む」ように社会規範を乗りこなすことで、トラウマを過去の体験の一つに昇華できることを説明しました。




社会規範は沢山ありますが、個人にとっては余り関係の無いものもあります。

社会規範の中には、「自分にとって必要な規範」と「必要のない規範」とがあります


必要のない規範に拘りを持ち続けると、むしろ自分を害するようになることがあります。


その害するようになる拘りの例としては、例えば

「禁を犯すものが許せない・・罰するべきだ」というものがあります。


それに拘り過ぎると、「とにかく許せない」という感情が高ぶり、感情をぶつけることそのものが目的になってしまいます。



そして

「許せない感情をぶつけて罰すること」そのものが、目的になるのです



そういう社会規範と許せない感情が広まって、それが集団の心理になった場合は、

常に禁を犯すものを糾弾して罰し続けられないと気が済まなくなります。


ここまで行くと、あとからあとから禁を犯すものが現れてくれなくては社会自体が満足できなくなります。

だれも禁を犯すものがいなくなれば、規範そのものが消滅することになりかねないので、禁を犯すものがあってこその「社会の満足」になるのです


幸いなことに、その社会には常に禁を犯すものが現れ続けることになります。



なぜなら現在の社会システムにおいては、必ず犯罪者が現れるからです。

システム上、そういう人間を生産する土壌が元々あるということです。

犯罪を犯さなければ生きていけないくらい追い詰められる人を作る社会システムだということです。



ところが、この社会規範にのっとっていつも他者を糾弾していると、必ず副産物があるのです。

言い換えれば、積み上げたカルマです。



この「罰しなくては気が済まない感情」を持っていると、時として自分自身に刃が向くことがあり得るのです。


カルマの法則によって、自分自身に些細な禁を犯すようなことでも有れば、自己糾弾が始まるのです。



他者に向いていたはずの「叩いて糾弾する攻撃性」が、今度は自分自身に向けられて、どうにも苦しくなるのです


これは、犯罪だけに限らず、非情なことにその人が日頃から他者を攻撃してきたすべての分野が含まれます。


他者を攻撃してきたすべての分野で「自分で自分を攻撃する」ことになってしまうのです。

これは、自分の内面で起こっているので、誰にも助けられないのです。



しかし、その人の自己糾弾が「社会規範」によってコントロールされている場合は、個人と社会規範の両方に責任があることになります。


社会規範を変えるのは個人としては難しいので、個人として自分の心情(考え方、捉われ方)をコントロールするしかなくなります。


社会規範そのものは変わらなくても、その捉え方を変化させるのです。


それを積み重ねることが出来ると、個人の中で「禁を犯すものを糾弾して罰したい」・・という方向ではなくて、「禁を犯さないように未然に防ぎたい」方向に目的が変化します。

個人の目標の変化が広がって社会に浸透していくと社会全体に影響を及ぼす様になっていきます。



犯罪を減らすことを究極の目標にする変化が起こるでしょう。



禁(犯罪)を犯すものを未然に防ぐ方向に社会が変化すると、自ずと社会システム自体も徐々に「未然に防げる」ように変化していくでしょう。

弱いものを追い詰めて犯罪に走らせるような社会構造が是正されて、

犯罪者を罰するのではなく、犯罪者を作らないような社会を理想とするように、人々の心情と社会システムが変わっていくでしょう。


これは、受け身の変化では無く、人の心情の変化に合わせて「能動的に変わっていく」でしょう。


社会規範に対する捉え方が変われば、例え自分に規範からはみ出るような些細なことが起こっても、過剰に自己糾弾して苦しめられるようなことは無くなるでしょう。



他者と自己を糾弾して罰する社会から、他者も自己も未然に救済する社会に変化できるでしょう

個人の社会規範に対する捉え方を、個人の努力によって変化させることが、ひいては社会全体を変化させることに繋がって、

罰する社会から救済する社会に変化させ得るということは、

つまり個人も社会も未然に救われることを意味します。


この状態が、次なる社会の目標と言えるでしょう。

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