①大陸西部で起こった大規模な戦争での敗者が日本に渡来人として流れて来た。
その中にはシュメール人、始皇帝の秦からやってきた徐福(弓月人である古代イスラエル人)などがいた。
彼らは、高度な文化、技術、武器を伴っていた。
②日本にやってきた渡来人たちが九州において武力衝突し、その中から勝利者である天皇が生まれた。
そして、天皇は大和へ進出して統一国家を打ち立てた。
この過程において日本の土着民である縄文人は、高度な文化の渡来人に吸収されて混血してしまった。
つまり、弥生人とは土着の縄文人と、渡来人が混血した結果、生まれた人々だったという事です。
渡来人に征服された縄文人の文化とは
①鉄器がないこと・・・強い武器を作れない
②算術に疎い・・・科学の発展が望めない
ことでした。
ゆえに高度な文化を持った渡来人に吸収されてしまったのです。
しかし、彼らは平和な縄文社会での自由さを持っており、それを縄文土器でのびのびと表現しました。
弥生時代になると、土器がシンプルに変化しました。
これは実は、征服された縄文人の心の自由が許されていなかったことを表しているのです。
当時の支配層が中国大陸から追い落とされた民族だったので、逆に日本を支配しようとして弥生人(縄文人の子孫)は奴隷状態におかれていたのです。
結局、日本という国家は
①宗教は古代イスラエルから神道を取り入れ
②軍事力は中国から取り入れたのです。
①の神道から祭り上げられたのが天皇だったのです。
【神人集合とは】
日本では、功績を挙げた人が死後、神として祭られるのが一般的です。
そこがイスラエルの一神教と大きく違うところです。
この違いが後の争いを生むことに繋がりました。(後述します)
なぜ楔形文字ではなくて漢字なのか
日本で漢字が広まる前に使われていたペトログラフ・楔形文字は、木簡や紙に書くことが出来ない文字でした。
そして語彙数が漢字よりも少なく、伝えられる情報が限られていました。
それに比べて漢字は墨を摺りさえすれば簡単に木簡にも紙にも書くことが出来、表現する語彙数が格段に多く、表現力が豊かだったのです。
当時の人にとっては、漢字は最新の技術でナウくてかっこ良かったのです。
だから日本においても我先に漢字を取り入れて、使われるようになったのです。
当時の世界では、楔型文字を使う民族が中東からアジアにかけて分布していました。
シュメール、アッカド、エラム、ヒッタイト、古代ペルシャ、ウガリッド、等のオリエント国家の正式文字でした。
漢字の使用は、文字の革命とも言える一大飛躍だったのです。