劣等感の強い人は、人に対して犬のように序列を付けたがる傾向が強いです。
その序列の間で、人を殴り倒さないと気が済まない心癖を持っています。
劣等感は、一つの観点から人同士を比較するので、特に兄弟間で起こりやいと言えます。
この場合は、親の強烈な序列意識が子供に伝播していることが殆どです。
以下、人を序列化するような事例です
「学歴」という単なる価値観で、人に対して序列を付けて人を殴り倒さないと気が済まない人は、
自分よりも上位の学歴の人に対して強い劣等感を抱くことになります。
と同時に自分よりも下位の学歴の人を蔑むようになります。
「美醜」という単なる容貌の価値基準で、人に対して序列を付けて人を殴り倒さないと気が済まない人は、
自分よりも優れた美貌の人に対して強い劣等感を抱くことになります。
と同時に自分よりも劣った容貌の人に対して強い蔑みの感情を抱きます。
このような、劣等感を強烈に持っている人は、上の立場であろうと、下の立場であろうと、人に対して無慈悲で嗜虐心が強いと言えます。
そして、自分が上の立場の時には下の者を強烈に蔑み、自分が下の立場の時には上の者に対して強烈な劣等感を抱いて苛まれることになります。
だからたった一つの点で人を序列化するというのは、人に対しても自分自身に対しても情け容赦が無く、冷酷無慈悲ということになります。
自分自身をも情け容赦のない劣等感で攻め続けます。
ではこの劣等感から抜け出すにはどうしたら良いのでしょうか?
【解決方法】
人を序列化してレッテル貼りをする心癖を止めなければ、劣等感から抜け出すことは難しいと言えます。
まず、自分の他人を序列化する着眼点とは、相手の人生の中の針の穴ほどの一部でしかないことに気が付かなければなりません。
その蔑みの対象人物は、実は他の諸々の点では、自分よりも遥かに上を行っている可能性があります。
ところが一つのレッテル貼りによって、自分のどこがその人よりも劣っているかに気が付かないことが多いのです。
だからいつも人に対してレッテル貼りをしていると、いつの間にか視野狭窄になってしまい、自分の問題点に気が付かないことが多くなります。
自分の問題点に気が付かないということは、自身がさらに向上できる機会を逃しているということになります。
そして自分自身の問題を放置していると、その不具合が積もり積もって(カルマ)やがて土石流のように本人に襲い掛かることになります。
こうなる前に自分で自分の問題を認識して変えていく必要があるのです。
レッテル貼りは、それを邪魔していると言えますので、本人にとってはダメージの大きな問題と言えます。
例えば、社会的権力のコンプレックスに捕らわれている人は、権力さえ強ければどんな問題も相手に押し付けても構わないと思い込んでしまいます。
つまり、高い権力の者は免罪符を持っている、と勘違いしているのです。
この状態を続けていると、他の問題等で本人にとっては青天の霹靂ともいうべきことが襲ってきて、再起不能になることすらあり得ます。
これらが個人のコンプレックスならいざ知らず、家族の認識の場合は厄介になります。
さらに集団(社会)の認識になっていると解決はさらに困難になります。
「集団のカルマ」になれば、問題化するまでに何世代もかかることがあり、その間にエネルギーが蓄積されて最終的に破綻するまでカルマが累積されることが多いです。
そしてカルマが極まると堰(せき)を切ったように、社会の常識や体制自体が一気に反転することになるのです。
歴史的には、曽我氏、平家の滅亡にその兆候が見られます。
最近の例としてはアメリカが、歴史的に長い白人至上主義から急に堰を切ったようにBLMに移り変わったことなどが挙げられます。
個人で解消できなかったコンプレックスで社会のコンプレックスとなっている場合でも、カルマが積みあがると何れにしても解消させられることになります。
小さな個人の内に何とか解決することが、個人のみならず社会の安寧に繋がります。