当時の日本では、欧米に勝つ力が不足していたと言えます。
正々堂々のガチンコの短期決戦では日本に分がありますが、
欧米側には正々堂々と戦う気などはそもそも無かったのです。
欧米は権謀術数に長けた戦い方が得意だったのです。
日本は長い間鎖国をしていたので、情報収集能力が劣っていました。
日本は武器や戦艦、軍隊の士気などの戦術レベルでは上回っていましたが、
戦略レベルでは圧倒的に劣っていたのです。
原因は、そもそも日本のトップの戦略的能力が低かったから、と言えるでしょう。
当時日本を裏切って敗戦に導いたと言われる軍部や政治家たちは、敵方の情報収集能力を知るにつけて、全く歯が立たないことを知っていたのです。
だから敢えて負けることが分かっている戦争に加担するよりも、裏切ることを選んだと言えます。
日本が日独伊の三国同盟しか結べなかった事は、すでに交渉力が無かったことを意味しています。
当時の世界では、暗号解読や密約などが横行して、裏取引、談合によって国家間の関係が結ばれていました。
戦争が始まるまでに既に情報戦に負けていたのです。
戦略が稚拙であったとも言えます。
その稚拙さの原因の一つは、長年の鎖国のせいです。
外国との取引によって知略を巡らせることが無くなり戦略の能力が劣化したと言えます。
もう一つは、明治維新によって武士制度を廃止したからです。
武士は、幼いころより物理的な戦い方のみならず、戦略、戦術のノウハウ、学問を叩き込まれます。
そしてその知識が代々受け継がれます。
その武士の制度がなくなり、戦略の専門家が育たなくなってしまったのです。
維新後は、優秀な人間が平民出身でも出世していきました。
彼らはとても優秀でしたが、そもそも農民出身の有能人物を担ぎ上げたとしても戦えるはずがないのです。
彼らは戦術や戦略の専門家では全くないので、結局烏合の衆となってしまいます。
明治維新とは日本破壊工作の始まりでした。
先ず、オランダが仕掛けたのです。
日本を植民地にしようと狙っていたのです。
日本はまんまとその術中に嵌り、国体がが破壊されました。
武士制度が破壊されたことは、カルマ的には徳川の世が安穏を貪り尽くした結果とも言えます。
トップが農民の優秀なたたき上げばかりとなり商売は上手いが戦略が失われていきました。
そして明治維新以来、日本の国体はまだ回復していないのです。
武士制度が無くなり、政治家や役人は非常に優秀だとしても、物事をまとめ上げる人がいなくなってしまいました。
彼らは、自分自身の能力を高める力は非常に高いのですが、国を導く力が不足しているのです。
つまり、リーダーシップのある人がいないのです。
交渉力があれば戦争は避けられたのです。
交渉力がないから舐められ、仕掛けられて戦争に巻き込まれていきました。
優秀な武器と軍隊は持っていたのですが、それを盾に交渉する能力に欠けていたということです。
鎖国の期間が長すぎたのです。