【質問】
いつの時代でも、人々を惑わせたり取り憑いたりして、悪の道に誘い善人を打ちのめす悪魔の話が出てきます。
悪魔とは何ですか?
誰の下になぜ現れるのですか?
【答え】
仏教的見地から答えれば、
「悪魔とは、自分の心の無知から現れるもの」と言えます。
何かを「神」と定めた瞬間に他が悪魔になるのです。
これには、先ず「神」とは何か、という問題から論じるべきなのですが・・
「何かが悪魔に見える」とすれば、その人の心の中には無知蒙昧があるということになります。
なぜなら、悪魔とは、理解すれば消え去るものだからです。
もし、強烈な悪魔が見えるとするならば、その人は、何か強烈な幻想を神として崇めている、ということを表しています。
マーラという悪魔が、仏陀をそそのかしたと言われていますが、仏教的見地からは、
自分の目に見える悪魔は、自分の無知から来ているカルマのようなもの、と言えます。
ですから、悪魔が見えるときは、瞑想によって意図的にカルマを解こうとするのは、当たり前のことなのです。
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あなたの目の前においしそうなステーキがあるとします。
でも、もし猛毒が入っていると分かっているならば、絶対に食べないでしょう。
知らないならば、直ぐにでも食べたくなるかもしれません。
でも、知っているので食べません。
この時に食べるようにそそのかすものが「悪魔」と言われるのです。
毒が入っていることを知っていれば、当然悪魔にはそそのかされない訳です。
食べないにしても、食べないことに対する恐怖などは湧いてきません。
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【宗教における禁止事項】
宗教においては、大抵、「禁止事項」というものが存在します。
そして、多くの信者は禁止事項の禁を犯すことに恐怖します。
この恐怖は、禁じられたことを行うとどうなるのか、を知らないために、恐れの感情が湧き起こるためです。
「無知で知ろうとしない姿勢から悪魔という恐怖は生まれ、知ってしまえば恐怖は消え去るのです。」
ある行いについて
①それを行えばどうなるかを知っている場合は、するかしないかの選択しかありません。
②無知蒙昧で、本当は行いたいのに禁止を言い含められている場合は、教義によって禁止されていることが辛く、苦しくなります。
さらに、
できない事に対する恨みの感情が湧きおこります。
そして、
「行いたい気持ちを、悪魔の誘惑のせいにして悪魔を出現させるのです」
このように、無知蒙昧によって悪魔は出現し、その人を支配するようになります。
その人は、禁じられている苦しみを悪魔のせいにして強烈にバッシングすることで、憂さを晴らすのです。