仏教には自灯明ということばがあります。
自らを灯し、自分自身を灯りとし、拠り所として生きる。
すなわち、他人に依存せず自立して生きましょうという意味です。
人間は、常に何かに頼って生きています。例えば食べ物は食材調達を農業をしている人に頼っていますし、清潔な服や暖かいベッドに入れるのも、それらを作ってくれている製造業者や職人がいるためです。
誰かの助けを借りなければ人間は満足な生活を送ることはできません。
しかし、人間が日頃から頼っているものは、このような資源や物品だけに限りません。
例えば形のないもの。哲学や思想であったり、道徳、社会システム、他人からもらう評価や価値観など・・・
このような形のないものに依存している人は、大抵自分がそれに依存しているという事実に気付いていません。
- 親の言うことを聞いているから自分は良い子である。
- 恋人に尽くしている間は存在価値が認められる。
- ブランド物を身に着けているから自分は価値のある人間になる。
- 学歴があるから他人よりも優れた人間であることを証明できる。
特定の何かだけを信奉する、理由もなく他の意見や事象をとにかく否定する。
このような状態であるかどうかが、自分が何らかの形ないものに依存していることを示しているサインです。
このような他者から頂いた価値のみを拠り所として生きていると、その価値が認められなくなった時、自分の在り方を見失ってしまいます。
他者から評価してもらえなければ、幸福になることができない。
生きる意欲も湧かなくなってしまう。
他人に無為にしがみつくことは自分のためにも、他人のためにもなりません。
自分自身を主軸として生きることができなければ、他者の持っている価値観や命令に振り回される人生になってしまいます。 自分の生き方、価値観、行動は最後は自分で決めなければなりません。
自分とはどのような人間であり、何を望むのか?何を糧として生きるのか? 自灯明を意識して生きるためには、自分自身の本音を知ることがとても大切です。
自分の心を探り、自分自身を知るために瞑想はとても有効な方法です。 もしも日頃から他人に振り回されて疲弊してしまうと感じるなら、一度自分の心を見つめ直すことがとても大切です。