人は死んだ後、暫く自分自身の生前の肉体(遺体)や遺骨に拘ってそばを離れませんが、やがて自分が死んでしまったことを痛感してどこかに行かなければいけないと思うようになります。
いくら物質世界に留まっていても自分の居場所が無いことに気が付くのです。
家族の会話や悲しみはちゃんと今まで通りに分かるのに、自分自身の声や言葉は家族には伝わらず、物を触ることも動かすことも出来ず、家族とのコミュニケーションが殆ど取れなくなり、不安状態に陥るのです。
それでも自分自身はどこにけばいいのか分からずに、途方に暮れてしまいます。
特に死後の世界について考えたことがなかったり、心構えが無い人ほど、途方に暮れて不安感が強くなります。
この状態は、霊界からのお迎えがやって来るまで続きます。
一般的には、亡くなった家族や先祖がお迎えに来ることが多いです。
亡くなった人にとって、安心して付いていきたいと思うような人が迎えに来るのです。
もしクリスチャンならば、キリスト教の亡くなった導き手(家族に限定されない)がやって来るでしょう。
人が亡くなった直後は、持っている因と縁は生前と変わりません。
言い換えれば、死後に行けるところも限られているということです。
人は生前でも行けるところ(縁のあるところ)にしか行けません。
人は、元々その人が持っている因と縁に縛られて、因によって導かれる、縁の有る家系の、縁のある両親のもとに生まれて、死後も縁のあるところに赴くのです。
世間でよく語られている臨死体験的なものは、確かに存在するのです。