人が死ぬと、まず周囲の人が悲しんでいたり、自分の肉体が死者として扱われるのを見ます。
事故死の場合は、自分自身の肉体の損傷と人々の動揺を見ることになり、
病死の場合は、医師が治療を終了して家族が悲しむのを見ることになります。
死後直後は、魂が肉体に寄り添うようにくっ付いており、肉体から離れようとしません。
この状態は、一般的にはお葬式まで続きます。
その後、葬儀が行われることによって、自分自身が死んでしまったことをはっきり自覚出来ます。
ですから、葬儀を行うことにはとても意味があるのです。
やがてお迎えがやってきます。
人が死後、自分として認識する自分自身とは、生前の自分とあまり変わりません。
自分自身のタンハー(渇愛つまり自分の世界観)とカルマによってがんじがらめに縛られた世界
における自分という存在です。
実は霊的な世界も物質世界もつながっており、同じ場所に存在しています。
ただし、魂は物質界から見ると霧散していくように見えます。
魂自身は、霧散しているのではなくて、自分が生前縁があったところに、分離して存在するという説明が最も近いです。
魂は死後、霧散して薄れていくように見えるので、物質世界の人にとっては捉えどころがなく、縁が薄くなっていくように感じられます。
このようになることを仏教では成仏すると言い、キリスト教では昇天するというのでしょう。
ただし、この世に多大な影響を残した人の場合は、死後もその影響が続くので、中々物質世界から離れ難くなります。
悪影響を残した場合は、不成仏霊、悪霊などと呼び、良い影響を残した場合は、神霊として祭られます。
よく天国や地獄と言いますが、神霊はどちらにも神出鬼没で存在できます。
しかし、悪霊と呼ばれる存在は、執着によって地獄から出ようとしません。