物質のエントロピーとカルマはとても似ています。
他の存在に認識されればされるほど、エネルギーが消費されてやがて存在が薄らいでいきます。
逆に、人から認識することを拒絶されたものは、エネルギーを蓄えて拒絶した人にとっては強大な存在になっていきます。
カルマとは実はエネルギーの分布のことです。
エネルギーの物質的な密度の差のことです。
例えば、農耕においてお米を作るとします。
結果としてその年の秋には倉庫に米というエネルギーが溢れることになります。
これも一種のカルマといえます。
お米を食べることを拒絶し続ければ、月日が経つとともに倉庫には入りきれないほどのお米が溜まってきます。
これも一種のカルマと言えます。
ゴミを沢山排出して倉庫にゴミが山積みになる・・・
これもまたカルマです。
カルマとは、エネルギーの勾配なのです。
存在の勾配の歪みがカルマなのです。
人間は自分の事だと認識しているものには、カルマを感じることがありません。
実は、等身大の自分自身に対する否認からカルマが生じるのです。
自分が受け取り拒否をして蓄積されたエネルギーを人はカルマだと感じます。
ですから人間の認識がカルマという概念を作っているだけとも言えます。。
カルマは単にエネルギーの分布であり、行動とその結果ではありません。
「行動」とその「結果」のことは「因果応報」と言われており、カルマとは別です。
「カルマ」とはエネルギーで、「因果」とはただの作用(化学反応)で、「応報」とは本人がとるべき責任です。