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私腹を肥やして社会に貢献しないような富裕層が何故存在できるのか?

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人々が社会生活の中で排出する物理的、心理的な排泄物、又はゴミを押し付けられているのは、実は貧困層よりも富裕層の方だという現実があります。

実は貧困層は、自分たちが生きる上で必要な責任(物理的、心理的、社会的な排泄物やゴミを始末すること)を免れている場合が多いのです。

別の言い方をすれば貧困層は、生きる上で必要な選択の決定及びその結果の責任を取るという事を免除されている場合が多いです。

例えば貧困層は、自分の仕事上のミスの責任を会社に肩代わりしてもらえて、自分は傷つかなくて済むということがあります。

会社に雇われているとこのようにミスをしても責任を取らなくて済みますが、収入はそこそこしか与えられません。

例えば国家単位では、敗戦した場合責任を負わされるのは、常に一兵卒ではなく軍のトップです。

自分で自立して会社などを経営する場合は、全てが自己責任でもちろん失敗することもありますが、成功すると富裕層になれます。

このことから、自己責任を取れない人、取りたくない人は、弱者という立場で責任を回避した方が都合がいいことになります。

言い換えれば、責任を取りたくない弱者にとっては責任を丸投げできる強者が必要になります。

弱者は責任を回避できる代わりに富裕層にはなれません。

勿論この場合の強者と弱者とは支配、被支配(奴隷)の関係ではありません。

この強者は弱者の厄介なゴミの始末を引き受ける代わりに、強者つまり富裕層という立場になれます。

しかし、一旦富裕層になったとしても、この弱者の責任(ゴミ)を引き受け続けなければ、いずれ財を失っていきます。

このように自分自身が行なった事の責任を取る、という観点から見れば、弱者が責任を放棄して強者がその責任という人のごみを引き受けている場合が圧倒的に多いのです。

将来、地球上の人類全てが、自分の全ての責任を負うようになれば、世の中に富裕層は存在しなくなるでしょう。

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