【質問】
大谷翔平選手が、世界のスポーツ史上最高額の10年7億ドル(約1000億円)の契約で、エンゼルスからドジャースに移籍しました。
本場アメリカでの大谷選手の活躍は、日本人としても誇らしく、嬉しい限りです。
ふと、疑問に思うのですが、
なぜ、大谷翔平選手の様な体躯と才能と実力のある人物が、生まれたのですか?
カルマには善悪があると言いますが、どんな善のカルマを積むと、大谷選手のような大成功する天才が、誕生するのですか?
【答え】
米メジャーリーガーには、実は大谷翔平選手くらいの体躯、実力、才能を兼ね備えた選手は他にも結構いるのです。
彼らと大谷選手との違いは、そもそもの個人的なカルマにもありますが、母国の文化的なものからの影響も無視できません。
①大谷選手は、英語が流暢では無いことが却ってプラスになっています
米国はヒエラルキー社会なので、大方の米国人は自分が属するグループの人間関係にエネルギーが消耗されて、メンタルが影響を受けてしまいます。
ところが大谷選手は、英語が流暢には話せないことから、どのグループにも属さずに済んでいます。
ゆえに大谷選手は、ヒエラルキーの人間関係にメンタルが左右されず、無駄なエネルギーを費やさずに野球に専念できるのです。
良い意味で空気を読まずに済んでいるわけです。
この野球界の人間関係は、日米に傾向の違いがあります。
【選手がチームの何らかのグループに属さない時の日米の違い】
*日本の場合
いずれの輪にも入らない選手は、チームの中のあらゆる面で邪魔されて、足を引っ張られる可能性があります。
*米国の場合
グループに入らない者はグループからは阻害されますが、米国は個人主義かつ結果主義なので、それ以上邪魔されたり足を引っ張られることはありません。
もし、大谷選手が渡米せずに日本に居続けた場合は、今ほどの活躍は出来なかった可能性があります。
なぜなら、人の足を引っ張る風潮は、特に日本に多いからです。
では、日本の球界はどんな様子なのでしょうか・・・
日本の野球界は、選手それぞれの潜在能力は高いのですが、上下関係が厳しく、互いになあなあで気遣わなければならない面があり、八百長に近いことも起こり得るのです。
日本の球界には、日本企業と同じような年功序列的なところが有ります。
先輩を立てることが当たり前で、なかなかその意向に逆らうことは難しいのです。
ゆえに若い選手は、上の人(先輩)を立てて和を乱さないようにすることに労力を注ぎ、野球の向上に使うはずのエネルギーを浪費することになります。
逆に言えば、若い選手たちは、目上の人から足を引っ張られているのです。
つまり若い選手たちは、個人の潜在能力を最大には発揮できない環境に置かれています。
例え、それぞれの選手の個人的な潜在能力が高くとも、そういう環境では残念ながらチーム全体としてのレベルが落ちて行く可能性があります。
大谷選手は、このエネルギーを浪費する環境を避けるために、メジャー入りした可能性があります。
さらに、大谷選手の成功には、個人の善のカルマ(善徳)が大きく影響しています。
そのカルマとは前世から培われて来たものです。
②大谷選手の善徳とは、「人の足を引っ張らない」ことです
これは、個人的に前世から積み上げている善のカルマで、今生の成功にはそのカルマが大きく貢献しています。
このカルマによって、今生でも人の足を引っ張るためにエネルギーを浪費することなく、全ての持てるエネルギーを野球に注ぎ、今の成功をかち得ているのです。
人の足を引っ張る人の心情には「相手に対する甘えの気持ち」があり、年功序列の考え方とも通じます。
人の足を引っ張る人は、引っ張ることが出来る立ち位置にいるのですが、その犠牲になるのはたいてい立場が弱い目下の者です。
人の足を引っ張るのは、努力せずに自分の現在の地位を保つためですが、いつもこういうことを行っていると、習い性になって止められなくなります。
そしてこれは、結果的に下から伸びて来る天才を潰すやり方なのです。
このようにして、年功序列の枠を超えて自分の潜在能力を最大に発揮する若者のあり方を、残念ながら日本社会は許さない傾向があるのです。
ゆえに天才大谷選手が渡米した判断は、正しかったのです。
それでは、米国の天才メジャーリーガーの実力発揮を妨げているものは何でしょうか?
米国は個人主義のヒエラルキー社会です
米国は、お金を沢山稼ぐものがヒエラルキーの上位に立ち、お金を使って贅沢をし、下の人を見下す社会です。
ゆえに大金を稼ぐ者は、持てるお金を使って贅沢をすることが美徳になります。
だから贅沢するために野球に注ぐべきエネルギーが浪費されてしまいます。
さらに個人主義なので、成功者が周りの為に奉仕(貢献)するのは損だという根本的な考え方があります。
この風潮から天才メジャーリーガーでも、チームから得ている金額以上の成績は残したくないのです。
貰っている以上の働きをすると、搾取されこき使われているような気がして、個人的に損だと思うからです。
まるで隷従しているような気がするのです。
そういう気持ちがある限り、どんな天才でも潜在能力を最大に発揮することは出来ません。
そして大谷選手は、この米国の風潮と全く真逆のことをしています。
大谷選手の様な体躯に恵まれた、真に才能と実力のある天才が、邪心を持たずにストイックに野球に打ち込むのですから、だれも適うはずがないのです。
大谷翔平選手は、前世でも人の足を寸分も引っ張らずにストイックな人生を送っており、その人徳のカルマが花開いた成功の例と言えます。