日本の戦後教育は、アメリカにおける昔(戦前)の教育方法であり、同じような粒のそろった能力の高い人材を量産するための教育方法だということを説明しました。
そのために、個人の個性や能力を伸ばすよりも、全ての科目で万遍なく一定水準以上の能力を身に付けることを重視する教育方法がとられていることを説明しました。
そして、戦前の米国式教育法とは、実はその当時に戦略的に必要とされていた、高い能力の兵士を量産するための教育方法であったことを説明しました。
敗戦直後に進駐軍より日本に与えられた教育方法が、例え米国式の兵士を養成する教育方法であったとしても、今年は戦後77年であり、とっくに創意工夫して日本式の能力を高める方法を確立できてもおかしくは無かったのですが、残念ながらそうはなりませんでした。
日本人は、米国から与えられたものを生かして、自分たちのために有効に発展させることが出来なかったと言えます。
それでは、教育方法においてその後に何故進化発展がみられなかったのか、の問題点について述べます。
【日米における教育に対する捉え方の違い】
(米国)
常に教育を改革しようという意欲的な人々が政治の実権を握っている。
米国人は、幼少の頃より実践的なものを身に付けるように親から教育をされる傾向がある。
米企業にとっては、何に対しても強い人材を育てることが常に課題であり、企業自身が教育機関に献金するなどして有能な人材を育てることをサポートしている。
米国では、就職をしても更に転職しながらキャリアを積むのが主流である。そうやって実践的な能力を身に付けることが出来る、と考えている。
実践的な能力を身に付けるために学校に行くものだと考えている。そうでなければ学校に行く意味はないと思っている。
米国においては、州ごとに教育内容がガラリと変わる傾向がある。
州の教育政策が悪ければ、人口が減って税収も減る。
国民が常に教育方法に関心を寄せている。
(日本)
企業が教育機関に関わることが少ない。教育とは、政府の管轄下になっている。
日本においては、一度就職すれば一生その企業で過ごすので、企業側も採用の時に実践的能力を重視せずに、学歴だけで足切りをする。
実践的な能力は、入社後に教育して身に付ければ事足りると思っている。
企業が採用の時に実践的な能力を重視せずにほぼ学歴だけで足切りをするので、国民の方も実践的な能力に興味を失い学歴だけを重視するようになっている。
【日本式の教育方法の欠点】
この日米の教育方法の違いを比較すると、日本では教育方法に対する人々のイノベーションが米国に比べて低いのが分かります。
そして実践的な能力に興味が無く、実践力を身に付けられなければ、就職してもイノベーションを起こすことが出来ず、結局無能になってしまいます。
実は、日本の戦前の教育はそうではなかったのです。
もっと実践的な能力をを伸ばせるような教育方法でした。
日本人は、戦後に米国から与えられた教育に胡坐をかいてイノベーションをサボってしまった・・と言えます。
戦後に米国から受けた様々な技術や情報を元に新しい技術を開発していった人たちは、戦前の教育を受けた人々が多かったと言えます。
ノーベル賞を取った研究者もこの戦前の教育の世代が多かったでしょう。
戦後教育世代の傾向として、学歴の表面的な点数だけを見てきた人は、イノベーションや、新しい技術開発などは難しくなるでしょう。
今後、世界のグローバル化が進むと、実践的な能力が無いと生き残れなくなります。
日本にとっては冬の厳しい時代が来る可能性があります。
戦後、日本の教育幾機関に投資していたのは、米国企業で、日本企業ではありません。
だから、日本企業にとって有能な人材を育てられなかったのです。
【結び】
*日本においては、教育に対する強いテコ入れが必要です。
*企業は、役に立つ能力の高い人材を育てるために教育機関をサポートしたり、企業内においても人を育てるイノベーションを起こす必要があります。
*実践的な能力を身に付ける必要を国民と企業が共有する必要があります。
企業が社員やその候補に対して真の人材育成をすれば、社員の方も社会に対して責任を果たせるようになります。
*これらの対策が軌道に乗れば、自然と少子化も解決していくでしょう。