チャネリング 仏教と瞑想

渇愛(タンハー)とカルマの違いを教えてください。

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渇愛(タンハー)とカルマの違いがよく分かりません。

渇愛(タンハー)とは永遠に充たされない欲望であって、本人でも気がつかないくらい意識の深いところに根ざした歪んだ認識であり妄想でもあると、学びました。それでは、「カルマを積み上げる」と表現されるカルマとは何なのでしょうか?

【答え】

カルマとは、渇愛(タンハー)から行った行動の結果であり、積み上げられた借金のようなものです。

なぜ借金になるかといえば、本人が自分自身の行動の結果を無視して、無いことにしたりごまかしたりして、受け取りを拒否(負の資産の放棄)をするからです。

この負債は本人が受け取らない限り、渇愛(タンハー)が休むことなく更に作り出すのでどんどん積み上がり、やがてせき止められた水がダムに決壊を起こすように、一気に本人に襲い掛かることになります。

つまり、本人が渇愛(タンハー)から行った行為の結果を常に責任をもって受け止めていれば、カルマは発生しないことになります。

それは自分の行動がもたらす結果を常に意識する、ということです。

しかし、自分自身の行動の結果を常に責任をもって受けとめられる人は滅多にいないでしょう。

もしいれば、聖人や覚者と呼ばれることになります。

一般の人は、負債であるカルマをどんどん積み上げてバランスが取れなくなり、やがてコインの表と裏がひっくり返るように人生に反転を引き起こすことになります。

この時になって初めて自分自身の行動の結果を強制的に受けとめさせられることになります。

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