「AIに聞きました、これが一番いいらしいですよ」
最近、こんな会話をよく耳にする。
最近のAIは確かに賢い。便利だし、合理的に判断してくれているように見える。
だが、その答えは本当にユーザーのためになるものなのだろうか?
AIは大量のデータから、製作者が最も合理的で安全で無難で、平均的として正しい答えを導き出す「機械」だ。
確かに、それ自体は悪くないかもしれない。しかし、そこには最大の問題がある。
AIは、その答えになにひとつ責任を持っていないのだ。
訴訟をどうすべきかと問えば、一般的に正しい助言が返ってくる。
投資をどうするべきかと聞けば、教科書的に妥当な分散案が示される。
サービスを頼めば、整った結果が提示される。
どれを取っても、特に間違っていない。
しかし、その選択をして失敗したとき、代償を払うのは誰になるのか。
時間を失うのも、金を失うのも、信用を失うのも、今を生きている人間である。
提示したAIではない。
AIに心を預け続けると、自分の頭を使う機会がどんどん減っていく。
「おすすめは?」と尋ねれば済む世界は楽だ。だが、楽であるほど、判断するための脳細胞は萎縮していく。
気づいたときには、自分で何かを決めることに不安を感じるようになる。
それは進歩なのか、後退なのか。
AIがある時代だからこそ、人間の思考は不要になるのではない。
むしろ逆なのかもしれない。
考えることをやめた瞬間から、その人は“選ぶ側”ではなく、“選ばれる側”に回る。
AIは強力な道具である。
だが道具は、持ち主の代わりに責任を負わない。
だから結局のところ、我々は意識と思考を磨き続けなければならないのだ。