民主主義とは、民衆の要望を最優先にする政治形態です。
しかし日本においては民主主義の結果、民衆が奴隷化してしまいました。
どういうことでしょうか?
そもそもの原因は、企業と民衆が働かずして楽してお金儲けをしたいと思ったことにあります。
そのためには安く働いてくれる奴隷を必要とします。
だから発展途上国に進出して、現地の人を安い賃金で雇いました。
謂わば彼らが奴隷代わりとなったのです。
そして人を奴隷にするには、奴隷を管理する人が絶対に必要となるのです。
ちゃんと管理しなければ、彼ら(奴隷)はまともに働いてはくれません。
つまり、人を奴隷化できる管理者が必要になるのです。
現地の人を安く雇ってちゃんと管理することによって、日本企業は楽して儲けることを覚えました。
一度楽を体験すると、止められなくなるのが人の性です。
企業は、今度は国内においても楽して儲けることを考え始めました。
今度は、国内に外国から奴隷を呼び寄せるようになってしまったのです。
そしてその奴隷としての外国人たちが不足すると、今度は国内の日本人を奴隷化することを考え始めました。
欲望は際限なく続くのです。
日本人が同胞の日本人を奴隷化するのには、抵抗もあり、
どうもその管理をサボってしまいました。
奴隷を管理するためには、ある面では善人ではいられなくなります。
人を安くこき使うためには、ある側面では悪人にもなる必要があるのです。
ところが、日本人はタンハー(渇愛)的に悪人などにはなりたくない人が殆どです。
これも一種のタンハー(渇愛)なのですが、日本人は、善人であることを是とする民族です。
国内に管理するもの(謂わば悪人の成り手)がいないならば、管理するものを外国から呼び込まざるを得なくなります。
日本企業が現地人を搾取していたので、外国の日系企業には、奴隷の管理者が既に存在していたのです。
そして彼らが日本国内に呼ばれて日本企業で日本人を管理するようになるとどうなるでしょうか?
企業は楽して儲かりたいので人をなるべく安く雇いたいと思っている訳です。
そうなると結局、日本人が安くこき使われて奴隷化することになります。
民主主義の日本において、企業の要望を最優先にした結果、民衆が奴隷化してしまったということです。
外国において奴隷(現地の安く使える労働者)を使うことで、楽して儲けることを一度覚えてしまうと、そのやり方以外は出来なくなってしまうのです。
そしてやがて回りまわって自分自身が奴隷になってしまう・・・・・・・
これも一種の因果応報です。
民主主義が行き過ぎて、愚かな要望をも優先してしまうとこういう結果になります。