最近の世の中では、個人の不幸が「自己責任である」と片付けられがちです。
しかし、
①自分の生まれた国
②家庭環境
③親の気質
④教育環境
⑤偶然の事故や出会い
などは、一般的には「自分では選べない」と言われています。
しかし統計的に判断するとこれらの条件は、
②学歴
②年収
③健康
④犯罪率
⑤幸福度
に、決定的な影響を与えています。
この事実を前にすると、
それでも最終的に本人の責任だ、とは言い切れなくなります。
ここで、人(霊魂)を、「個人に宿るもの」ではなく、
①環境、関係、文化、身体的条件などが重なった時に一時的に立ち上がる「現象(ホログラム)」のようなものである。
②一か所に「像」が保管されるものでは無く、照らす角度や条件が変われば別の像が現れる。
③同じ状態の像(魂)でも、再生条件が変われば、全く違う像になる。
と解釈すれば、例え本人に別の選択肢があったとしても、それは自由な選択ではなく環境条件の中で必然的に選ばざるを得ない選択であったかもしれない、という解釈が成り立ちます。
また、もし別の条件下(別の家庭、別の学校、別の出会い)であれば、別の選択をしていた可能性が高いとも考えられます。
つまり、
「不幸の自己責任論」とは構造責任(教育の歪み、経済格差、セーフティーネットの欠如、排除を生む文化)を個人の責任として押し付ける思想と言えます
それでは、個人としてこの不幸から脱出するために何が出来るかを霊界の知恵者に問うてみました.
【知恵者から自分を不幸だと感じている人へ】
もし、現在の自分が生まれ持った環境(常識)に依存して従順に従っている場合は、その依存した社会から与えられる立場(地位)が固定されてしまいます。
ゆえにもしその人が不幸ならば、原因は環境(常識)にあると言えます。
この常識とは周囲からの「言われることに従順に従いなさい」という期待の集合体です。
言い替えると、常識とは期待の累積債務と言えます。
①親の期待
②社会の期待
③専門職としての期待
④「ちゃんとした人という幻想」の期待
これらひとつひとつを全て満たすのは、並大抵のことではありません。いずれ叶えられない期待は、あなたに「債務」としてひとつずつ蓄積されていきます。まさにその人の人生の「借金」となるのです。
契約したわけでもないのに、時が経つほどに、利息がどんどん膨れあがってしまうのです。
しかし人は過去、その常識への依存と環境を打ち破って、社会システムを変えて来たきた歴史があります。
昔は、「人生五十年」のように人が年を取るスピードが速く、老化も早く、既得権益が長く続かない社会でした。
つまり、昔の社会システムは現在よりも壊れやすく、脆弱だったのです。
従って「革命」もまた容易に起こすことが出来ました。
しかし、現代はこの社会システムそのものが壊れにくく進化し、強固な時代になっています。
この「強い社会システム」に対抗するためには、人もまたより強くならなければなりません
人が強くなければ、取り返しのつかない状態になるまで、社会を変えることができません。
例えば、貧富の差が拡大し続けても、傍観し続けることになります。
それはつまり、この歪んだ社会システムに乗っている人類全体に「個人的不幸の責任」があることになります。
ゆえにもし自分の不幸から抜け出したいならば、社会システムに乗ることを止めることです
そして自分自身が「社会システムに乗っている人」であり、周りの人たちのいうことを従順にきくことを、自分で選択していることに気が付くことです。
従順にきくことで、「安心感」を手に入れています。
そしてその代わりに「自分自身は不幸だ」と感じられる地位が与えられています。
つまり周囲の要求に従順に従うことで「不幸」の代償として「安心」を手に入れているのです
その人は、
周囲の期待(常識)に応えられないから不幸なのではありません。
応えられなかった自分を、価値のない存在だと裁いてしまうことが、不幸の正体です。
言い換えれば、その人は自分にとっての「不幸」に隷属している、と言えるのです。
もし、「不幸」から脱出したいなら、「不幸に隷属すること」を止めることです。
その人は世の中の「常識という洗脳」に自分を合わせることで不幸になっているのです
その常識の中のごく少数の勝者のみが幸福になれますが、残りの殆どの人たちは漏れなく敗者となり、不幸になります。
じつは、「グローバリズム」が「勝者のために都合がいい常識」を世界に広めることになりました。
ゆえにもし不幸から脱出したいなら
敗者でいることに安住してはなりません。
安心を買うのを止めなさい。
不幸な人は、自分を「常識に合わせることを是」とし、そのうち幸福になれると勘違いしています。
もし勝者(幸福な人)になれないなら、常識の殻を破りなさい。
ただし、殻を破ることで一時的な孤立、誤解、損失を引き受ける覚悟を持つことが必要です。
それくらい「強い人間」であることが要求されます。
つまりこれこそが依存からの脱却と言えます。仏教用語では「自灯明」と言います。
そして例え勝者になりたくて常識に取り込まれていたとしても、実はその勝者(常識)自体も一時的な幻想に過ぎないのです。
皆が同じ幻想(勝者の概念)を共通に持つと、それは現実として認識されるようになります。
しかし幻想は長くは続かず、いつか崩れ去ります。
常識(勝者の概念)は、ノアの箱舟と同じで、ごく少数の人しか救われません
そして、勝者以外の残りに大量の敗者を生み出します。
その「常識」(勝者の概念)とは、ねずみ講のようなもので、宗教とも信仰とも言い替えることが出来ます。
皆が信仰を止めれば、幻想は崩れ去るのです。
それが近未来の地球の姿です。