現代では私たちは常に電子機器に没頭し、時間を吸い取られています。
朝起きてスマホを見る。
通知を確認する。
SNSを眺める。
YouTubeを流す。
AIに問いかける。
気づいてみれば、いつの間にか常時インターネットに接続され、オンラインの状態が「当たり前」になりました。
一見すると、情報に触れ、何かを学んだような感覚になるかもしれません。
知識を得た、理解した、賢くなった――そんな錯覚すら生まれます。
しかし、ここで一度、冷静に問う必要があります。
本当に“自分の頭を使って思考した”と言える時間は、どれだけあったのか。
見ただけではないか。
流しただけではないか。
反応しただけではないか。
本来、人間の思考には順序があります。
読む → 止まる → 咀嚼する → 再構築する。
その往復の中で、知性は形になります。
今はどうでしょう。
次から次へと情報が差し出される。
脳は刺激を受け取り続ける。けれども深く結びつかない。
刺激は残っても、思考が身に付くことがありません。
アルゴリズムは次々と新しい情報を提示します。
脳は短い快刺激を受け取り続けます。
しかしあなたの持つその知性との統合が起きません。
統合とは、情報と経験を合わせ、世界を再構築する過程です。
ここが抜け落ちると、あらゆるものに対して理解は浅くなります。
その結果、
長文が読めなくなる。深く考えると疲れる。結論だけを求める。反射的に意見を持つ。
これはある意味情報氾濫社会における環境への適応ともいえるかもしれません。
しかし、ここにさらにAIが加わりました。
要約も分析も即座に提示される。
構造も仮説も自動生成される。
便利です。しかし同時に、思考の中核工程を外部に委ねる装置でもあります。
抽象化。再構築。反証。
これらこそが、人間の頭脳に最も負荷のかかる工程です。
ここを自分で回さなくなると、自身の脳は静かに劣化していきます。
しかし、思考そのものは奪われたのではない。使われなくなっただけです。
回路は、まだ残っています。
AIが台頭している現代において、あなたが「AIに使われるロボット」になるかどうかは、
環境ではなく、その人生で意志を持ち、何を貫くかで決まるでしょう。