今回の質問
国民から高支持率(70%)を得ている高市政権は、「責任ある積極財政」を標榜しています。
「責任ある」と「積極財政」に多くの国民が、「生活が豊かになるかも」と期待しました。
しかし最近、色々な増税の話が浮上しています。年金も減額されるらしい。そして期待していた外国人移民の制限は無し崩しになっているようで、治安も悪化しているように感じられます。
この「責任ある積極財政」で国民は本当に救われるのでしょうか?高市政権はどんな政治をしようとしているのでしょうか?
知恵者の答え
高市政権の掲げる「責任ある積極財政」とは、きれいな言葉に包まれた「増税路線」です。
「積極財政」と聞けば、国が大きくお金を出し、景気を押し上げ、国民生活を支える政策のように聞こえます。
しかし、そこに「責任ある」という言葉が付くと、意味が変わります。
この場合の「責任ある」とは、国の借金を減らし、財源を確保するという意味なのです。
「財源を確保する」ならば、その財源をどこから取るのかという話になります。
本来ならば、現在もっとも資金をため込んでいる政財界の既得権益層から取るのが筋です。
ところが、政権を支えている側に切り込むことは難しい。そのため、最終的には国民から徴収することになります。
つまり「増税」です。
一般に、高市首相は右派と思われていますが、今の自民党の動きを見る限り、必ずしもそうとは言えません。
今の自民党は、「経済的グレートリセット」を狙っています。
政府は「GDP」を何とか引き上げるために、過去の「緊縮財政」をリセットして「積極財政」に方針転換しました。
GDPを引き上げるためには、国民の消費を拡大させる必要があります。つまり内需の拡大です。
そこで「移民政策」がにわかに脚光を浴びることになります。
少子化で人口が減っている現在、内需を拡大させる最も効果的な応急処置が移民政策なのです。
外国人を入れれば、住居を借り、食料を買い、交通機関を使い、医療や行政サービスも利用します。
消費が確かに増えますし、安い労働力も増え、税収や社会保険料も増える。
政府から見れば、これは非常に都合がよい政策です。
移民政策とは、人手不足対策であると同時に、GDP維持政策であり、社会保障財政の延命策でもあります
しかし、それが国民の幸福と一致するとは限りません。
国民は「積極財政」と聞いて、自分たちの生活が豊かになることを期待しました。
ところが政府が見ているのは、国民生活そのものではなく、GDP、税収、社会保障財政、政府債務、円安といった国家の数字です。
ここで、円安の意味も見なければなりません。円安と物価高は、国民にとっては生活苦です。
預貯金の実質価値も減ります。しかし政府から見れば、インフレによって借金の重みが軽くなるのです。
国民が痛みを負うことで、国家財政の帳尻が合っていくわけです。
円安を維持するということは、国民の貯蓄の価値を削りながら国の借金を減らしていくということです
ゆえに国民から見ると奇妙なことが起こります。
積極財政なのに増税の話が出る。
右派政権のように見えるのに移民制限が曖昧になる。
国民を守ると言いながら、国民の預貯金、年金、福祉が削られていく。
これは偶然ではなく、国家の経済を維持するために、国民の生活資金が財源として使われているのです。
もちろん、日本経済を維持すること自体は重要で、GDPが落ち、円安がさらに進み、物価が急騰すれば、国民生活はもっと苦しくなります。
しかし、国民の資産を削り、高齢者の年金を削り、外国人を入れて内需を水増しし、数字だけを維持するなら、日本という国家の外形は保たれても、日本国民の生活は守られません。
国を守るとは、GDPの数字を守ることではなく、その国で生きている国民の暮らしを守ることです
本当に日本を上向かせるためには、移民政策の前に、既得権益層にメスを入れるべきです。
長年、国家予算のうま味を吸ってきた層、制度によって守られてきた層、責任を取らずに利益だけを確保してきた層から、資金を吐き出させる必要があります。
しかし、そこに切り込まず、増税し、年金を削り、移民で内需を補うなら、本末転倒です。
しかも、もしGDPが上がったとしても、その富が国民に還元されるとは限りません。
外国人労働者、外国資本、関連業界、補助金を受け取る事業者に資金が流れ、国民には物価高と治安悪化だけが残る可能性があります。
本当の責任ある積極財政とは、本来ならば「使うべきところに使い、取るべきところから取る」政策のはずです。
しかし現在は、国民から絞り取り、既得権益を守り、移民を増やし、GDPを維持する政策になっています。
これは、国民生活を豊かにするための積極財政ではなく、日本という国家装置を延命させるための積極財政です。
もちろん、財政の使い方が正しく変われば、国民も豊かになれる可能性はあります。
国民の可処分所得を増やし、国内産業に投資し、技術開発を進め、若者と子育て世代に資金を回し、地方経済を立て直すなら、積極財政には意味があります。
しかし、増税と移民と物価高によって国民から資金を奪い、別の場所に流すなら、国民を豊かにする政策では無く、政府は国民を蔑ろにしていると言わざるを得ません。
これは、日本の未来を犠牲にした政策とも言えます。
国民は「積極財政」という言葉ではなく、その財源を誰から取り、それを誰に渡すのかをしっかり見張らねばなりません
政治の本質は、言葉ではなく資金の流れに現れます。
高市政権の「責任ある積極財政」が本物かどうかは、誰から取り、誰に渡すのかで決まります。
国民はそこを確りと見張らなければなりません。