今回の質問
お金とは何ですか?
お金があれば、美味しいものを食べることもできますし、広い豪華な家に住むこともできます。移動も楽になり、時間も買うことができます。親や家族にプレゼントもできるし、子供に教育を受けさせることもできます。
お金はより良い人生を生きるために必要な道具ではないですか。けれども昔から、お金では幸せは買えないとも言われます。
お金とはいったい何なのでしょうか。
一般的には
一般的には、お金とは物やサービスと交換するための手段です。働いた対価としてお金を受け取り、必要なものを手に入れるために使うものだと考えられています。
そして多くの人は、お金が増えれば手に入れられるものが増え、自由も増え、人生が充実すると感じています。これは間違いではありません。実際、お金がなければ避けられない苦労はたくさんありますし、生活の土台を守るうえでお金は非常に重要です。
ただ、ここで見落とされやすいのは、お金そのものに価値があるのではなく、お金は使い方で価値が激変する道具だということです。
知恵者の答え
お金とは「人を動かすための道具」です。
お金があれば自分一人では作れない物、できない仕事、届かない場所にまで手が届くようになります。
お金があるということは、それすなわち、誰かの手を借りられるということです。
人は、お金さえあれば何でも思うままにできると思いがちですが、実際にはそうではありません。
お金はけっして万能などではなく、あくまで自分が関係を持てる人間の範囲でしか使うことができないからです。
現代ではインターネット等を通じて昔よりもはるかに多様な使い先を選ぶことができるようになりましたが、それでも手の届く使い先は限られます。
どれだけお金を持っていても、信頼されていない人間はいざという場面で助けてもらえません。
家にどれだけお金を入れても、家族との関係が悪ければ、尊重されません。
身体を壊していれば、どんな高級料理を並べても胃が受け付けてくれません。
孤独な人がお金だけを増やしても、札束が相談相手になってくれるわけではないのです。
お金とはそれ単体で幸福を生み出すものではありません。
良好な関係を維持し、生活を豊かにし、時間や労力を生み出す力ではあっても、それ自体が幸福をもたらすわけではないのです。
それどころか、お金には人間の欲望を際限なく拡大します。
お金が少ない時は足りないことで苦しみ、多くなっても今度は減らしたくないために苦しみます。
増えれば増えるほど、もっとたくさん欲しくなる。お金は価値のある便利なものですが、お金に執着しすぎると、お金に人生を支配されてしまいます。
昔の修行者がお金に執着することを禁じたのは、単に清貧を美徳にしたかったからではありません。
お金があると、外の世界を意のままに動かすことばかりに意識が向き、自分の心に集中することを妨げるためです。
欲しい物があれば買う、気に入らなければ追いやる、面倒なら人に丸投げする。
そうやって面倒事を他人に丸投げする癖を身に着けてしまうと、自分の内面と向き合う修行がおろそかになってしまいます。
もちろん、お金を持つことが悪いという意味ではありません。
現代ではお金がなければ生活そのものが成り立ちません。
ここでの課題とは、お金を持つか持たないかではなく、お金をどのように使うかを学ぶことです。
見栄を張るためにだけお金を使う人は、見栄を張るためだけにしか自分のお金と人生を使えません。日ごろから不安ばかりに苛まれている人は、その不安を解消するためにお金や時間を浪費するでしょう。
誰かとの関係を維持するため、身体を守るため、未来のためにお金を使う人は、お金を通して成長した自分の未来を手に入れるでしょう。この差は大きいものです。
同じ一万円でも、単なる気晴らしで一万円を浪費してしまう人と、自分の仕事や人間関係、未来のために一万円を使える人とでは、その結末がまったく違います。
お金の生み出す価値は、単に金額だけではなく、何を意図して使ったかが大きいのです。
だから、お金があるのに不幸な人がいる一方で、そこまで裕福でなくても幸福な人がいます。
その違いは単純です。前者はお金を持っていても、お金の使い方が稚拙なのです。後者は大金がなくても、活かされる使い方をしていると言えるでしょう。
少なくとも、お金を「たくさんあれば安心できる物」とだけ考えると、不安は少しずつ増大していきます。
不安をなくすためだけにお金をためても、その残高が安心感をもたらすわけではないのです。
お金を得ることだけを人生の目的にしてしまうと、それ以外の肝心な部分が空虚な人生になってしまうかもしれません。お金は自分の成長や周囲の人間関係を豊かにするための道具と考えるとよいでしょう。
だからこそ問われるのは、いくら持っているかではなく、そのお金で何を育て、何を為し、何を作り上げたか?なのです。