今回の質問
自分を偽って人に合わせるのが苦しくなってから、急に人間関係が減りました。本音で生きようとすると孤独になるのはなぜでしょうか。
一般的には
一般的には、本音で生きようとすると人間関係が減るのは、不満を隠して相手に合わせることで維持されていた関係が終わったからだと考えられます。
人は本音だけでつながっているわけではなく、空気を読んだり、多少無理をしたり、相手に合わせたりしながら関係を保っていることが少なくありません。だから、自分を偽るのをやめると、それまで成り立っていた関係が急に失われることがあります。
また、本音で生きる段階では、自分自身も他人を選ぶようになります。以前なら我慢して付き合っていた相手に違和感を覚え、距離を取るようになるため、関係が失われやすいのです。
知恵者の答え
自分を偽って人に合わせることがやめてから、急に人間関係が減った。そういう経験は、実は次の大きい成長のための糧となります。
周囲が冷たくなった、縁が切れた、相性が悪かっただけという単純な話ではありません。
人間関係というものは、綺麗事だけでは成り立たないもので、ある程度はギブアンドテイクの側面があるものです。
与えるから与えられるし、合わせるから受け入れられる。そういう側面は確かにあります。
問題の核心となるのは、その「与え方」が自然に自分から出ていたものだったのか、という点でしょう。
もしこれまでの人間関係が、無理をして空気を読み、言いたいことを飲み込み、ひたすらガマンを続けることで、相手にとって都合のいい役を演じていたのだとしたら、その我慢をやめた瞬間に関係が消滅するのは当然です。
なぜなら、その関係はあなた自身ではなく、あなたが与えていた「我慢」によって保たれていたからです。
ここで多くの人は、「本音を出したら人が離れた。やはり本音では生きられない」と考えます。しかし実際には逆です。本音を出したから孤独になったのではなく、今まで本音ではない関係を続けていたから、一気にそれらが白日の下に晒されただけです。
そして、もう一歩踏み込むと少し厳しい現実も見えてきます。我慢をやめた結果として孤独になったのなら、それは周囲の本音が見えたからではありません。
周囲だけでなく、自分の本音と向き合ったのです。
自分は本当は、そこまでして他人に与えたくなかった。そこまでして合わせたくなかった、時間を割きたくなかった。その本音が露わになったわけです。
これは悪いことではありません。散々無理をしてきた人間が、急に他人へ優しくなれなくなるのは自然なことです。
それだけのことです。にもかかわらず、また無理をして「もっと優しく」「もっと社交的に」とできない自分を責め続けると、また同じ欺瞞に満ちた関係を作り出すことになるでしょう。
孤独よりも、欺瞞に満ちた人間関係のほうが辛い。そう感じるなら、それで構いません。無理に群れる必要はありません。
表面だけの会話、腹の探り合い、都合のいい役回りを続けるくらいなら、いったん孤独になる方が楽でしょう。
そこを誤魔化してまで関係を残しても、結局また苦しくなるだけです。
しかし、そこで止まってしまうのならば話は別です。合わせないことと、誰にも関わらないことはイコールではありません。
我慢をやめたその次に必要なのは、孤独を正当化することではなく、自分はどんな形なら他人とムリなく関われるのか、それを見直すことです。
今までのようにガマンを続けて消耗するのではなく、無理をしなくても自分が人に譲れるものは何か。
それを模索しなければ、人間関係はただ消えたままで終わります。
結局のところ、本音で生きると孤独になるのではありません。本音で生きると、孤独を作り出すような自分の性根が曝け出された結果として孤独になるのです。それが、「今」のあなたであるということです。
そこで初めて、自分は何を嫌がっていたのか、何を奪われたくなかったのか、どんな関係なら続けられるのかが見えてきます。
我慢をやめたから、他人の本音が見えた。それは同時に、自分の本音が見えたということでもあります。
大事なのは、そこで終わらないことです。壊れた関係にしがみつくのではなく、我慢しなくても問題ない関係を作れる自分へと成長することを目指しましょう。