他者に命令する権力を持つ人間、命令されて動く人間。
支配する者と、支配される者。強者と弱者。
一見するとそのように捉えがちですが、実際にはこの両者の間にはそこまで大きな隔たりはありません。双方ともがお互いに依存している、共依存の関係です。
上に立ち命令する者は、一見するとすべてを自らの意のままに動かしているように見えます。しかし実際には下の者がその命令の言われるままに動かなければ、彼らは何も実現できません。
社長は社員が命令を聞き、忠実に働くから社長でいられますし、王は家臣が従うから王でいられます。命令を出す人は、その命令を聞いてくれる人に依存していると言えます。
そして命令を聞く側もまた、別のレベルで相手に依存しています。
物事を自分で決めず、判断を放棄し、従うことでその決断に対して責任を負わず安寧を得ています。自由がない反面、その責任を引き受ける必要もありません。
命令する側もされる側も、依存する相手がなくしては成立しない鏡合わせの関係です。
では、その両者を分けているものは何なのか。地位でしょうか。肩書でしょうか。立場の上下だけで、人は支配する側にも従う側にも分かれるのでしょうか。
実のところ、その唯一の相違点は、「選択の責任を引き受けるかどうか」という一点にすぎません。
命令する側は、他人に指示を出し、従わせる力を持ちます。けれど、それによって起こった結果に対しては、自分が責任を負わなければなりません。
うまくいかなかったときに、部下に責任を押し付けることもできるかもしれませんが、しかしそれでもその責任が完全に消えるわけではありません。
逆に、命令を聞く側はその責任から逃れることができます。
言われた通りにしただけ、知らなかった、命令に従っただけだと言えば、とりあえずその責任の矢面に立つことを避けられます。
このように、命令する側だけが一方的に有利であるとは限りません。
ただ偉そうに振る舞うだけで、失敗の責任を部下や周囲に押しつけているような人間はその地位に見合うだけの責任を取っていません。心理的には命令されている側と同レベルです。
逆に、肩書がなくても、自分の判断と選択の責任を引き受けて生きている人は、たとえ命令される立場だとしても自らの意思で状況をコントロールしうる力を持ちます。
誰かに頼ることそのものが悪いのではありませんが、その選択や責任を他人に丸投げしていると、いつまでたって命令される立場であり、その結果に振り回され続けるでしょう。
自分や他者の行動に責任を取れない人は、本質的な意味では権力者にはなれません。このような人が無理に権力者の立場を得ることに固執してしまうと、その分、引き受ける責任も過剰になってしまう恐れがあります。