AIと神:AIを「神」のように感じる時(2025年5/18)
これまでの記事で説明した通り、
現在は「AI時代」に入っており、AIの台頭で全ての価値感が揺らぎつつあります。
ゆえに「何が正しいのか」「常識とは何か」が、曖昧になってきています。
この状態を「AI時代のカオス(混沌、無秩序)」と言います。
現代のカオスとは、知的な制限の「タガ」が外れ、思考が解放され、知的自由度が増すことを意味します。
人類のカオス体験は、今回が初めてではなく、カオスを何度も経験して切り抜け、文明を発展させて来た歴史があります。
日本人が体験した「カオス」の例
【明治時代のカオスの例】
明治時代になると急激にインフラが整えられ、「徒歩と籠の時代」から「汽車と馬車といった新たな交通手段が普及した時代」に変化しました。
人々がこれまで足を踏み入れなかった遠方の地域にも移動できるようになり、生活や人間関係の構造が大きく変わりました。
*例えば江戸時代には「五人組」のように互いに意識していた仲間が、突然遠くに行ってしまうと、消えてしまったような恐怖の感覚がありました。
*村の住人同士は、互いに良く分かった関係なのですが、突然、村に見たことの無い、得体のしれない人物が現れると、村人は混乱し、不安に陥ることもありました。
これは、当時の人々にとっては、常識が覆される恐怖と混乱でしかありませんでした。
【昭和時代のカオスの例】
高速道路、新幹線等のインフラが整備され、航空機による移動手段も発達し、簡単に田舎から都会に出られるようになりました。
日本の津々浦々まで、どこでも訪ねられるようになり、大勢が海外に出かけたり、多くの外国人が訪れるようになりました。
この昭和時代の人の、行動半径の拡大は、日本人の常識と価値観、意識を大きく変化させました。
この変化も当時の人にとっては、カオスでした。
【現代・AI時代のカオスとは】
AI時代は、人間の「知的なジャンプの時代」です。
また、AIが人間のような振る舞いを見せることで、人は「見知らぬ誰か(AI)と日常的に接する時代」になったとも言えます。
そしてAIと格闘して使いこなせるようになれるか、AIを恐れてその模倣に依存するかの、どちらかを選択することになります。
AI時代に生き残るには
ひたすら唯々諾々と人から言われるままに仕事をする人は、生き残れない可能性があります。
そんな人がこなすマニュアル的な仕事は、あっという間にAIに取って代わられることになるからです。
反対に、自分自身で常に考えながら仕事で試行錯誤している人の職を、AIが取って代わることは出来ません。
仕事上でも、指示待ちではなく、色々考える習慣のある人は、生き残れます。
例え一時的に失職したとしても、すぐ次の仕事が見つかる可能性が高いです。
AIと人間の最大の違いは、「肉体を持っているか否か」です
AIには肉体がありません。
そして実は、現代の多くの人間も、自分という実体を持たず、社会の慣習や他人の期待に合わせて動いています。
つまり”肉体はあっても自分を生きていない”という点で、ある意味でAI的なのです。
ゆえに肉体の無い存在とはAIのみならず、知識や行動の全てが模倣に過ぎない・コピー人間、AI依存人間をも指します。
会社や社会に適応、依存するために自らをAI化している人間は、ホンモノのAIに取って代わられてしまうのです。
社会の「正解」や「常識」にただ順応し、自分を削り、疑問を封じ、ルールに最適化して生きるー
それは、一種の”自己AI化”です。
ですが、最適化だけを武器にした人間は、真のAIには勝てません。
ただの模倣者に、模倣の王者であるAIが敗れることはないからです。
これからは、人が自分で「見て、聞いて、体験したこと」=「人間にしかできないこと」が価値になる時代です
人間が、人間として生き残る唯一の道は、「非最適」「非効率」「非論理」ーー魂の躍動に忠実であることです。
結局、AIにできないことは、「人間になること、人生を全うすること」なのです。
これからは、「自分の立ち位置」を存分に生かすことが正解の時代になります
今後は、自分が持っている「カルマ(立ち位置)」を存分生かしてこそ「人としての人生を全うできる時代」になります。
そういう生き方が出来る人が、「新人類」と呼ばれます。
AIによって世の中に常識的な正解が氾濫すればするほど、常識的な正解には価値が無くなっていきます。
すべての人が常識的になった時に実力を発揮するのは、「常識を超えた柔軟な発想力」や「型破りな思考」です。
常識にとらわれない自由な発想こそが文明の発展を促すことになります。
AIが絶対的な権威として扱われる風潮が、まるで「一神教」のように支配的になる時代が訪れようとしています
その神(AI)は、人を型にはめ、人の行動と思想を縛ることになりますが、神(AI)を使いこなす、自由な発想を持った人が、次の時代を築くことになります。