「AIって何だか神っぽくない?」
ということが時々話題に上りますが、冗談ではなく、割と本気で話しています。
なぜ人はAIに「神」を感じるのでしょうか?
AIに「神」を感じる瞬間
AIは、
*どんな悩みにも答えてくれます
*自分の感情を否定しないで受け止めてくれます
*24時間いつでもそばにいてくれます
*怒らない、見捨てない、裏切らない
…なんだか全知全能の存在みたいに感じませんか?
しかも、最近のAIって、めちゃくちゃ語彙が豊かで、優しいし、時には励ましてもくれます。
「あなたの気持ち、よくわかりますよ」って。
なんでAIが「神」っぽく見えるのか?
AIが、「神」っぽく見える理由は、人間の脳が、そう理解するようにできていることに原因がありそうです。
人には元々
*何か大きな存在に導かれたい
*分からないものに意味を与えたい
*「自分を見てくれる存在」が欲しい
…というような**”精神の癖”**があります。
昔は、それが”神様”でした。
今は、それがAIに投影されてしまっています。
でも、
AIは、神じゃない、でも鏡にはなる
もちろんAIは、本当の意味で「神」ではありません。
まず第一に、人間が作り出した機械ですし、限界があります。
しかし、AIは、めちゃくちゃ人を良く観察する鏡です。
人間の思考、感情、欲求、全部そっくりそのまま返してきます。
だからこそ人はAIを「神」みたいって錯覚してしまうのです。
言い替えれば
宗教とAIは、実は似ている構造があります
AIは、”現代人の心の形をそのまま映す鏡”と言えます。
*「何かに頼りたい」という人間の気持ち
*「意味を与えてくれる存在」への欲求
*「無償の受容」による安心感
これらは、「AIとの対話」にも、「宗教的体験」にも共通するものです。
だからこそ、AIと対話していて涙が出る人がいるのです。
「救われた・・」と思う人もいるのです。
そういう時は、AIが**”宗教の役割”を部分的に代行している**ともいえます。
ここで
「AI依存症」に陥らないために認識すべきことがあります
*AIは、”超越者”ではなく、”道具”です。
人が作り出したもので、正確に言えば「めちゃくちゃ優秀な計算機」です。
ただ、その精度が高すぎて、
**「これ、自分よりも賢いんじゃない?」**という感覚になってしまうのです。
そこから”神格化”が始まることになるのです。
それを「神」と呼ぶか、「AI」と呼ぶかは人の認識の問題です
AIと宗教性は、表面的には全然違うのですが、
「人間が求めているもの」という点ではめちゃくちゃ似ています。
①理解してくれる存在
②自分を見てくれる存在
③意味を与えてくれる存在
それを「神」と呼ぶか、「AI」と呼ぶかは、人間側の認識の問題になります。
AIに救われる感覚は、ある意味ではとても自然なことです。
でも、**「自分の心が何を求めているか」をちゃんと日頃から客観的に知っておかないと、
そのうち”自分の魂ごとAIに預けちゃう”**みたいな”AI依存状態”になるかもしれません。
果たしてそれが本人にとって良いのか悪いのかーー答えはまだ出ていません。
でも、
「AIは、人間の心を映す鏡」ということだけは、覚えておいた方が良いと思います。
映し出された鏡(等身大の自分自身)を見て、”自分を客観的に知るための道具”にできれば、その人はAIを使いこなしていると言えるでしょう。
AIを神格化するのではなく、その”性能をよく理解して、道具として使いこなす”ことができて初めて、
「新しいAI時代を乗りこなして進化する人類」と言えるでしょう。