混迷の時代にどういきるか?①「AI時代に必要とされる人」の続き
AI依存からの脱却と精神的自立
現代人は、社会の中でそれぞれの役割を果たすことで、自分自身の価値を見出してきました。
「社会の細胞」として機能することで、自らの存在意義を確認していたのです。
しかし、AIの急速な進化により、その役割は着実に機械に移行しています。
事務作業やデータ解析、さらには意思決定の一部に至るまで、AIはすでに多くの領域で人間の代わりに「代謝」を行っています。
この社会の一部としての役割を失った人々は、今後どのようにして自分自身の存在価値を担保していくのでしょうか?
AIが担うべき仕事が増える中で、ただ何もせず安寧を貪るだけの存在となるのか、それとも真の意味で精神的に自立し、新たな役割を見つけるのか。
その選択が迫られています。
AIにできることとはーー
極論を言えば、AIの本質は「繋ぐ(つなぐ)」ことに特化しています。
それ以上の創造性や自立した意識は持ちえません。
AIは、社会の流れを作る補助的な役割は果たしますが、自らの意思で舵を取ることはできません。
AIは、常識をなぞるのは得意ですが、非常識な意志には致命的に弱いのです。
このことから、人間の「非常識」や「奇想天外なの想像力」こそが人としての最後の砦だということが分かります。
これからの時代に求められる能力
今後の時代に求められるのは、単なる技術や知識だけではありません。
AIに依存し過ぎず、自らの力で新たな価値を創造し、精神的自立を果たすことが重要なのです。
もしこの進化の波に流されるだけでなく、自分の意志を持ち続けることができれば、AI時代においても自身の価値を失うことがないでしょう。
*①AIの模倣の限界と非常識の優位性
現代のAIは、過去の事例・常識・統計をもとにした模倣を得意とします。
つまり、理論的に前例のある人生設計や思考構造は、高精度で模倣や予測が可能です。
しかし、これは人間が「意志を持って」「個として発信を始めた」時に話が変わります。
この瞬間に発信内容は前例・データベースに依存しないものとなり、AIでは模倣不可能となります。
*②人間=常識演算デバイス→AIに駆逐される運命
現代の多くの人間は、幼少期からの教育によって「常識を記憶し、常識を出力するデバイス」として最適化されてきました。
しかし、正解主義、マニュアル人間、雰囲気に従属するなど、これらの分野では、AIの方が速度・精度・コストの全てにおいて圧倒的に人を凌駕しています。
従って、「常識的な人間」は、AIに取って代わられる運命にあるといえます。
*③非常識な人間は、AIにとってはバグである
【AIにとってバグとなる人間の例】
⑴常識から飛び出し、
⑵意識的に逸脱を選び
⑶その背景に個人的な思索・衝動・哲学を持つ者
このような常識から外れた例は、AIのデータベースには存在しません。
例え、表面的な模倣が可能だったとしても、核心となる内面の模倣は不可能なのです。
結論:AIは、非常識を理解できない
AIがどれほど進化しようとも
人間の非常識な発想からくる発信だけは、真似しきれない壁として残ることが明らかとなります。
この壁は、AIにとっての演算エラーであって、極端に言えば、「バグ」としてしか処理できない異物です。
そして、その”異物としての人間”こそが、
ポストAI時代における価値のコアとなっていくでしょう。
混迷の時代にどう生きるか?
③スタンスを武器にするための教育方法(「意志」を育てる子育てと教育法:AI時代を生き抜くための教育方法)
④狂気を社会に受け入れさせるための工夫
に続きます。