【質問】
最近、「南海トラフ地震と首都直下型地震と富士山の大爆発が同時に起こる」とか
「2024年~2025年に日本に破滅的な災害が起こる」等の、終末論的な破滅的予言が、SNSで流行っているようです。
しかもそう言い放っているのが、過去いくつもの事象を言い当てて来た、知る人ぞ知るの著名な予言者だったりします。
こんなにも一斉に近い天変地異を予言されると、少々心配になってきます。
予言は本当に当たりますか?
中にはアカシックレコードにアクセスして未来を予言できる人もいるようですが、アカシックレコードとは何ですか?
本当に未来が見えるのでしょうか?
【答え】
本当に未来を読める人がいた場合、その人は未来を変えられるアイテムを持っていることになります。
確かに現実に未来が分かる人は存在しますが、そういう人は大抵予言者ではなく、実業家として活躍しています。
自分の未来予知の能力を使って実業家として成功を収めているので、本人にとっては「予言者」という肩書は不要になります。
予言に頼りたくなる人は、自分の未来に不安を感じている人です
自分の未来に不安を感じる人は、予言に頼りたくなります。
そんな人がはまりやすい予言とは、不安を煽るようなものが多く、詐欺の可能性が高くなります。
どうすれば、詐欺か詐欺じゃないかを区別できるでしょうか?
もし、予言を聴いた時に
①自分ではどうにも抗えず、動けなくなる感じ、つまり停滞感を感じる場合は、詐欺の可能性が高くなります。
一方、
②予言を聞いた時に、自分を変化させられるような、向上させられるような前進できるような感じを受け取った時は、本人にとっての価値のある予言と言えます。
①の場合は、自分で考えること、活動することを止めてしまうので、予言者を信奉してしまいがちです。
もし、自分で考えずに予言者の言うことを信じて行動するように誘導されるなら、カルトに近くなります。
つまり、詐欺の予言とは、恐怖を煽って聞いたものに無力感を与えるものが多いということです。
そして予言者側も、意図的に人々をがんじがらめにして停滞させて信奉させることを望むのです。
これは、その予言が当たりやすいとか、当たらないとかは関係なく、良く当たる予言者の中にも、人を縛ることを好む詐欺予言者が存在します。
どちらにしても、自分が恐怖を感じて動けなくなる予言は、自分にとっては役に立たない、むしろ害になる予言だと言うことです。
自分でものごとを考えたくない、現実に直面したくない人が、恐怖をあおる予言に嵌るのは大変危険なのです。
どんな人でもがんじがらめになるような感じを受ける予言には注意が必要です。
予言は、信じる人が多いほど、当たり易くなります
そうなる理由は、例えその予言が本当は当たっていなくとも、人々が集団で予言が当たったように現実を曲解するので、まるで予言が当たったように見えてしまうのです。
また、さらに予言を実現化しようと行動する者まで現れる可能性があります。
こういう場合は、予言が当たるかどうかよりも、人を動かすパワーになることの方が問題になります。
もし、その予言が負の予言の場合、人々が当たることを望んで行動することになれば、人の為にならない予言だと言うことが出来ます。
予言とは本質的に当たっても外れても、どちらでも結果は変わりません
予言の本質とは、当たる当たらないの結果に関係なく、予言を聞いた本人が、それをどう受け取って、どう行動するかに尽きます。
人によって受け取り方が異なるので、同じ予言を聴いたとしても行動は違ってきます。
世間で注目されるのは、天変地異や戦争などの世の中に影響のある大きな予言が多いですが、大きな予言が出来る予言者は、日頃から身の回りの些細なことの予言は、もっと得意なはずです。
常に身の周りの小さなことを当てている予言者は、本物だと言うことが出来ます。
逆に、大きなことしか予言できない予言者は、まがい物である可能性が大きいです。
本物の予言者の予言からインスピレーションを得て、自分の向上、発展のために行動するのが、賢い予言の利用方法です。
アカシックレコードは、特別視され過ぎです
世間では、アカシックレコードにアクセスしたり、見えたりする人を、大霊能者として特別視する風潮があります。
その代表がノストラダムスでしょう。
しかし、アカシックレコードにアクセスするというのは、「この世というもの自体を霊感によってよく観察する」ことを言っているに過ぎません。
そして本人の能力によって得られる情報は限られています。
また本人の感受性の働き方によって霊界に波長が合わせられるかどうかで、アカシックレコード(霊界)にアクセスできるかどうかが決まります。
このアクセス方法をチャネリングと言います。
世間でよく勘違いされていますが、アカシックレコードという特別なものや世界や霊界があるわけではありません。
森羅万象のこの世を霊的にどのように捉えることが出来るか・・・
それらすべてを理解して受け取ることが出来る者、そのような人間という種の能力を遥かに凌駕した存在などは、現代の人間の中には存在しません。