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神社で禊(みそぎ)をする理由・・未来の「知恵のある犯罪取り締まり方法」(2023年9/4)

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神社の境内への入り口には必ずと言っていい程「手水舎(てみずや)」という、手や口を水で洗い流して清める施設があり、参拝の前には必ず清浄にすることが求められます。

これは、「清らかな神様を汚さぬよう、失礼にならないように」・・や「身を清めることによって心を穏やかにして整えるため」等と色々いわれています。

夫々、もっともな理由ですが、


手水舎のそもそもの始まりは、疫病を防ぐためでした。


古来より、日本でも疫病が蔓延するたびに、多くの人々が亡くなりました。


神社というのは、当時は今でいう公民館のような働きを持っており、人々が大勢集まって儀式を執り行ったり、会合を開いたりするところでした。


もし、そんなところに疫病に罹った人が一人でも入り込めば、病原体があっという間に村全体に広がって犠牲者が出ることになります。

それを未然に防ぐために、当時細菌やウィルスの知識が無かった人たちが考え付いたのが、神社の境内に入る前に身を清めることだったのです。


今でこそ形骸化して、手と口を漱ぐだけですが、古来は神社の前の川に浸かって体を隅々まで洗い清めることが習わしでした。

謂わば、そうやって疫病の知識はないけれども、伝染を恐れて未然に取り締まってきたのです。


このやり方は、厳しいようでいて実はとても優しい方法なのです。


なぜならば、


清めない者は、神社の境内に入れて貰えなくなるだけで、悪人と決めつけられて罰されることはありませんでした


つまり、厳しく取り締まるけれど、厳しく罰することはなかったのです。


この方法で神社における疫病の伝染を、かなり防ぐことが出来ました。

全く理にかなった方法です。


このことを現代の犯罪への対処に応用することが出来ます。


現代の犯罪をシステマティックに解明すると「取り締まり方法」が分かるようになります

①「犯罪を取り締まる」

小さな犯罪のうちにしっかり芽を摘むと、大きな事件が起こるのを防ぐことが出来ます。

そして小さな犯罪なので、厳しく罰する必要は生じないのです。




一方

②「犯罪を罰する」

というのは、大抵大きな事件が起こって、それを厳しく規範に則って罰することを意味し、今後再び大きな事件が起こるのを防ぐ一種の見せしめ的な懲罰の意味合いがあります。


事件によって犠牲者が沢山出るのは、もちろん②の方です。


本当は当然、犠牲者の少ない①の方法が理想なのですが、なぜ②に至ってしまうのでしょうか・・


それは、その犯罪のメカニズムが分かっていないからと言えます。

犯罪が多数起こるなら、社会のシステムに犯罪を起こさせるような原因が必ずあるはずです。


その原因をシステマティックに解明できれば、事件になる前に未然に取り締まる方法や、起こること自体を防ぐ社会改革方法なども明らかになる筈なのです。


それが解明できないのは、その社会全体に「知恵が枯渇しているから」と言えます。



「知恵」の代わりに「社会規範」というものが存在しているのですが、所詮ありとあらゆるパターンに対応することは難しく、規範に反したものしか罰することが出来ないばかりか、上手く規範をすり抜けたものは、野放し状態になってしまいます。



もし、人に「知恵」があるならば、同じ規範でも「守らねばならない場合」と「守らなくとも良い場合」が自ずと分かって来るものなのです。


もし、社会の大勢が「知恵」を身に付ければ、社会規範そのものが、不要になるでしょう。


そうなれば、世の中の種々の犯罪は、取り締まるだけで未然に防ぐことが出来るようになるでしょう。


未来には、ありとあらゆる犯罪が取り締まるだけになる


極論すれば、この取り締まるだけで未然に防ぐ方法は、ありとあらゆる犯罪に適用されるのです。

もちろん、今の時代の人々には、納得がいかないのは分かっています。


しかし、例えば今流行のAIのように、お互いに一人一人の心理状態が手に取るようにわかる時代が来れば、どんな犯罪も未然に防ぐことが出来るだろうことは想像できます。


一人一人の心理状態が分かれば、起こりそうな犯罪を未然に無くすように、社会を変えていくことも可能になります。


ですから、今はその過渡期と言えるでしょう。


昨今のAI技術の発達によって、集団の心理がかなり分かるようになってきました。



将来、人々が「知恵」を身に付ければ、AIの力など借りなくとも、互いの心理状態が手に取るように理解できる日がやって来ることでしょう。


そういう時代には、例え少々はみ出す人がいたとしても、小さな犯罪をしっかり取り締まるだけで、大きな事件の発生を防ぐことが出来るようになるでしょう。




【古代の取り締まりの例】

仏陀の時代の仏教界でも取り締まりが行われた


仏陀の時代の仏教界において、戒律を守らない者は破門されました。

戒律を守らないものが修行僧たちに交じっていると、他の修行僧に影響を与えて害を為すようになるので、追い出されたのです

つまり、この時代においても当然「仏陀の知恵」を用いてしっかりと取り締まり、未然に事件を防いでいたのです。


取り締まりは厳しかったのですが、罰されることはありませんでした。

この時代の罰とはむち打ちの刑だったのです。

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