【質問】
日本には、中国から漢字入って来るより前に、既に文字が存在していました。
その文字は、現在も岩石や洞窟などに刻まれて存在し、「ペトログリフ」(線刻、線画、線文字)と呼ばれています。
そのペトログリフは、日本の北海道から九州までの遺跡や神社等に広く分布しています。
種類も豊富で、シュメール古拙文字から神代文字等、多彩な文字が見られます。
これだけの文字が古代より使われていながら、何故漢字を用いるようになったのでしょうか?
縄文時代になぜペトログリフが日本で刻まれていたのですか?
【答え】
神代文字が漢字に取って代わられたのは、当時の日本人が中国からの渡来人に権力を奪われたからです。
当時は、神代文字よりも漢字の方が優れていたのです。
そして、渡来人によって日本の文化は塗り替えられたのです。
土着の日本人は、縄文人です。
彼らはそもそも武器を殆ど持っておらず、そのため外国からの侵略を受けていました。
そして、侵略者によって持ち去られた物(縄文土器、勾玉等)は、奴隷と共にシュメールにまで運ばれて売られました。
結局その後、武器を持たない縄文人は、渡来人に征服されて融合し、その文化は滅ぼざれてしまったのです。
その渡来人とは、現日本人の祖先のことです。
また一方、そのころの中国大陸では、漢字が大変発達していました。
また、中国大陸でも繰り返される戦争によって科学技術が発達していました。
当時の日本人には墨を使って文字を書く技術が無く、文字は粘土か岩石に刻まれていました。
また稲作の技術も不完全だった可能性があります。
結局、語彙が多く表現力に優れ、簡単に墨で書ける漢字を取り入れることとなったのです。
当時、大陸西部(シュメール)で大規模な戦争が起こり、敗者は徹底的に蹂躙されるので、難を逃れるために大勢の人々が日本に流れて来ました。
この中で、日本の縄文人は、優れた武力と技術を持った渡来人に吸収されてしまったのです。
そして日本においても、発達した武力と技術の渡来人同士の衝突が繰り広げられて、それによって生まれた勝者が天皇になったのです。
古代の日本において、シュメール文字や、その文明の名残が見られますが、実は古くから国交があったのです。
シュメール人で戦争に負けた人々が、優れた文化を伴って日本に大挙してやってきたのです。
その優れた渡来文化は、あっという間に縄文文化を吸収合併して滅ぼしてしまいました。
神代文字もシュメールの楔形文字の名残です。
このことは、昔大陸から文化が流れ着いたことを示しています。
「徐福」(じょふく)と呼ばれる秦の始皇帝から派遣された人々の集団も、秦から高い文化を日本に持ち込みました。
日本の成り立ち
①九州が渡来人たちの主戦場になり
②その中から天皇(勝者)が生まれ
③その天皇が大和へと行き、征服したのです。そして大和朝廷を打ち立てたのです。
この過程で縄文人は渡来人と融合し、文化も吸収されて滅んでしまったのでした。