チャネリング

なぜ楽しいことが苦しみに変わるのか?(2022年4月28日)

↓毎日クリックありがとうございます。

【質問】

人が生まれ変わる時に、自分の渇愛(タンハー)が発揮できる環境と世界を選ぶことを学びました。

人は渇愛が発揮できなければ、人生に充実感と生き甲斐を感じないことも理解しました。

それならなぜ、仏教においては渇愛を無くすように指導するのですか?

【答え】

渇愛(タンハー)は、実は麻薬のようなものなのです。一度そこに嵌ると止(や)められなくなって、止まらなくなるのです。

まるでお酒にでも酔っているようになって、気分良くなってしまうのです。しかし、必ず酔いが醒める時が来ます。そうすると一気に現実が押し寄せてきます。

人の渇愛が、その人を「渇愛の発揮できる世界」に呼び込むのですが、その世界とは、「渇愛を発揮するという歪んだ快楽に耽る世界」なのです。

実は、渇愛を発揮するということは、世の中に借金をするのと同じことなのです。

なぜ借金になるのか・・・渇愛が発揮されるとその結果として、カルマが積み上がるのです。渇愛は止むことのない欲求なので、24時間カルマを作り続けます。そしてそれが肥大化してバランスが取れなくなった時に一気に雪崩を打って崩れます。

そして当事者に襲い掛かるのです・・・つまりカルマ(借金)の清算です。

そうなると、今度は逆回転が始まり、渇愛のエネルギーが外部から本人を襲うことになります・・・つまり、立場の逆転です。

人を蹂躙していた人は、人から蹂躙されるようになり、人を誹謗中傷していた人は人から誹謗中傷されるようになり、他人から財産を奪っていた人は、奪われるようになります。

そしてその逆回転が収束すると、今度はまた元のように渇愛が発揮されてカルマを積み上げていきます。そして積み上がり過ぎてバランスが取れなくなると、また雪崩現象が起こります・・・・これを延々と繰り返すことになるのです。

この繰り返しは、一つの人生の中でも起こりますし、例え、生まれ変わったとしても渇愛がある限り繰り返しは終わりません。

これを「輪廻の轍に嵌る(りんねのわだちにはまる)」などと言います。

カルマのエネルギーが雪崩を打って人を襲う時には、自分のしたことの責任を強制的に取らされるので、自分の世界が地獄に変わります。

我が世の春の絶好調の状態から、全ての願望が挫かれる奈落の底に突き落とされてしまう感覚です。

例え奈落の底に落とされても、渇愛は絶えることが無いので、ますます苦しくのたうち回ることになるのです。

この「苦楽が交互にやって来る状態」が止まることなく繰り返される状態こそが、まさに本当の地獄そのものです。

「苦と楽の永遠の業火に焼かれる苦しみ」から衆生を救うための方法を仏陀は編み出しました。

カルマは渇愛から作り出されるので、「カルマの根本原因である渇愛を消滅させるためのメソッド」が本来の仏陀の教えなのです。

-チャネリング