チャネリング 仏教と瞑想

依存について

↓毎日クリックありがとうございます。

人間は、誰もが何かに頼って生きています。

それは親、会社だったり、社会的地位、恋人かもしれません。

頼ることは悪いことではありません。人間というのは、必ず、何かしらに頼って生きているのです。

しかし、依存することに慣れきってしまい、そこから離れる必要があるにも関わらず手放せなくなったときに、人生の大きな問題となります。

今は激動の時代です。

急に仕事を失ったり、生活環境がガラリと変わることもあるかもしれません。

それに伴い大きく人間関係が変化してしまうことも多く、場合によっては天災や病気で頼りにしていた人や家族、肉親を失うことさえあります。

結婚予定だった人から突然別れ話を切り出されると、人生に絶望してしまうかもしれません。

仕事が立ち行かなくなった人が、友人から思わぬ助けを得られる、というのもよくある話です。

人間関係というのは考えてもいないようなきっかけで突然崩れることもあります。

そんな時、相手なしでは生きられない、依存していた人を失うと立ち行かなくなってしまう、というような状態では困り果ててしまいます。

どんな時も、自分が今の現実にしっかりと足をつけて立ち、離れてしまったものに無下に執着せず、今、自分の目の前にある人生課題と、しっかりと向き合っていくことが大切です。

何かひとつの物事に依存しきってしまうと、自分のもっている人生の課題に取り組まずに済みますが、その安楽に浸りきってしまうと、いずれ八方ふさがりになってしまいます。

逆に、もしも人生の課題に直面して解決することができれば、今後その力は人生を生き抜いていくうえで、この上ない財産となるでしょう。

依存する、という行動ひとつ取ってみても、中道(バランス)を保つ、ということが実はとても大切です。

依存することを無碍に避けるのも問題です。「孤独に依存」することは、人生に大きなマイナスとなってしまいます。

多くの者を頼り、頼られることは悪いことではありません。むしろ、生きるためには必要なことです。

しかし、ひとつの物事のみに依存してしまうと、他に足をつける着地点を見失ってしまいます。

立ち上がってバランスを崩したときに、足を付けることのできる先が多ければ、そこで踏ん張って転ばないように堪えることが出来るでしょう。

けれども、もしも足を付けることのできる足場が極端に限られていれば、踏ん張ることが出来ずに転んでしまいます。

頼るべき先や人間関係も、時間とともに流転していく、生きていればどんどん変化していくのです。

「依存」を「執着」にするな、ということですね。

-チャネリング, 仏教と瞑想