人が亡くなった後にお迎えが来ると、一体何処に連れて行かれるのでしょうか?
天国?それとも地獄でしょうか?
その違いは何によって決められるのか・・・・?
お迎えにやって来るのは、必ず波長の合う知っている人です。
日本人の場合は殆どが亡くなった家族でしょう。
大抵、善人には善人のお迎えが、悪人には悪人のお迎えがやってきます。
それが最もしっくり来て相応しいし、そうでなければ付いていきたくなりません。
お迎え人は、当人にとって相応しい、縁があるところに連れて行ってくれます。
そこは、本人の魂が理解できるその人の世界観に見合った世界です。
場合によっては生前の生活環境と、殆ど変わりのないところに連れて行かれることもあります。
そこに集う人々も、自分自身と同じような波長の人ばかりです。
似たような人ばかりなので、安心して自分の個性を発揮することが出来ます。
言い換えれば、自分よりもかけ離れた悪人や善人のいない世界です。
こうやって死後も、人はあまり変わらない環境で暮らすことになります。
その世界には、グレイタイプやトカゲタイプのような理解不能の恐怖の宇宙人などはいないので安心してください。
このようになるのは、本人の因縁によって環境が決まってしまうからです。
本人が最も合う環境を選んでいるとも言えます。
そしてその世界は、別の世界観を持った他人から見ると、「天国」に見えたり「地獄」に見えたりします。
もしあなたが、他人から地獄に見える世界にいたとしても、全く合わない天国などには行きたくないでしょう。
その「天国」と呼ばれるところは、あなたには合わない理解できないルールに、みんなが喜んで従って回っている世界ですから。
この場合は、別の人から見て地獄に見えるところこそが、本人にとってはしっくりくる居心地よく住める環境ということになります。
例え、そこが争いの絶えない暴力的な世界だとしても、そういう刺激の多い世界こそが、本人の望むところで自分を発揮できる生きがいのある世界だということになります。
こうやって観察すると、地獄で苦しんでいるように見える亡者は、実は生前も同じ世界の別の断面で生きていただけということになります。
因果応報で地獄に落ちるというよりも、元々地獄(?)の住人だったことになります。
この人たちは、そのままでは生前も死後もどちらも真の幸福からは遠い世界で過ごすことになります。
もし、本人が色々な体験を通して地獄に嫌気がさして、自分自身の世界観をもっと他者に対する思いやりに満ちたものに変えて行けば、天界での住居もそれに応じて少しづつ変化していきます。
もっと居心地のいい争いの少ないところに引っ越したり、近くの住人がもっと親切で優しい違ったタイプに入れ替わったりします。
こうやって見てみると、一般の「天国」と「地獄」という言い回しが間違っている可能性があります。
ある人にとって「天国」は別の人にとっては「地獄」であり、別の人にとっての「天国」はその他の人にとって「地獄」に見えるだけかもしれません。
その人の世界観が「天国と地獄」を作っており、世界観が変わると「天国と地獄」も変わっていくということです。
デスメタル音楽派の天国は、クラッシック音楽派にとっては地獄に見えるかもしれません。
こういったことからカルマの枷(かせ)から解放されている神霊は、天国だろうと地獄だろうと自由に出現できるのです。
地獄にも観音様やお地蔵様は訪れてくださいます。
もし、天国から出られない聖霊がいるとすれば、その天国と呼ばれる世界のカルマ(宗教的な可能性もある)に縛られている可能性があります。
*これらのことから死後間もないころは、生前と因縁が同じなので、似たような環境に行くことになりますが、霊界での成長によって因縁が変わると環境も少しずつ変化していきます。
*本人の自己変革によっては、地獄の住人が、天国の最上界にまで上昇できる可能性があります。
いずれにしても大切なのは、常に自己変革と向上心です。
霊界も修行場だということです。
死ぬとそのまま夢のような素晴らしい天国に行けると思っている人にとっては、がっかりすることになるかもしれませんね。