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新世代のライトワーカー

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【質問】

「ライトワーカー」という言葉をよく耳にします。

光を担って活動する人たち?

それは実際にはどういう活動をする人たちなのでしょうか?

【答え】

そもそも元来のライトワーカーとはキリスト教の教義を守る、光の道を歩む人のことを意味します。

神から与えられた光の道を歩み、守る者だからこそ、ライトワーカーという善の称号が与えられるのです。

仏教で言うところの戒律を守る修行者の意味と似ています。

その元の意味が歪曲し解釈され、様々な意味を持って語られるようになりました。

例えば、日本ではライトワーカーとは以下のような意味で用いられます。

日本人は、平和と安寧、協調をきわめて重んじる種族です。

故に、日本でライトワーカーでいられるためには、平和主義を貫くことが絶対不可欠です。

現在の日本は旧来の秩序が崩壊してきているため、ライトワーカーでいることが難しくなってきています。

安定した社会では騒乱や不和を起こさずに、ただひたすら一心に善行を行う者こそがライトワーカーだとみなされますが、実は善悪でさえも、国と時代が変われば180度ガラリと入れ替わってしまうものなのです。

ある国では善とされているものが、別の国では悪とされることもよくあります。

例えば、他人といさかいが起こった時には、日本では先に謝った方が善者です。
ところが、アメリカにおいては、先に謝るといことは、自分の方に一方的に非があることを認め、自分だけが罰を受け入れる用意があると宣言することになります。

ライトワーカーとは・・周囲の人や社会から、善人であるという称号を得ることに執着している人、ともいえるのです。

つまり、皆が認める良い人だと認めてくれなければライトワーカーにはなれないのです。

これが日本でよく使われているライトワーカーの意味です。

しかし現実には、特に現代社会では、全ての人から善人と認められるような人など、誰もなり得ません。

ある人から見れば善行でも、別の立場の人から見ると純然たる悪行である、ということがざらにあるのが現代社会です。

光があれば闇が存在するように、一人の人間の行動の中にも、光と闇が混在しているのです。

未熟なライトワーカーの弱点は、自分自身の持っている闇の側面を認識することができないことです。

自分自身の闇を認めることができない人間は、他者の闇や社会の闇を正視することはできません。自分を光で満たすためには、ただ狭い世界に閉じこもって、闇を否定し続けることで自分を保つしか無くなるのです。

このライトワーカーとは、周囲からの自分自身の肯定的評価を貪るだけの人となってしまっています。

もし、真に自由なライトワーカーになりたいならば、実は闇を嫌い、遠ざける必要などないのです。

また、ライトワーカーとして認められるために必要な行動は、所属している文化や社会の価値観によってガラリと変わってしまいます。

例えば同じライトワーカーでも、日本と中国では求められるあり方がまるで違うでしょう。

中国のライトワーカーには悪の枢軸国家である日本や米国を批判・糾弾したり、中国に敵対する者を弾圧することで国家に正義の利益をもたらすことが要求されるでしょう。

このようにライトワーカーとは国によって質が変わります。が、周囲から善人であると認められることが必要という点は同じです。

日本のライトワーカーが、周りの人のために親切にしているならば、それ自体は大変素晴らしいことです。

仏教的にも教義にかなった素晴らしいことだと言えます。

しかし、もしも周囲の目ばかり気にして善行と言われる行動をとることに執着しているのであれば、いずれライトワーカーとしての自分を維持することができなくなる時がやってきます。

【現代のライトワーカー】

現代のライトワーカーは、どんなに周囲から糾弾されようとも、自分の信念を持ち、敵対する者から学びをえて、信念を実現するために突き進む戦士としての気質が求められます。

ライトワーカーとは信念の光を掲げ、世の荒波を乗り越える存在なのです。

これからの時代はライトワーカーとは調停者(俯瞰的に物事を見られる人)であり、かつ戦士でなければならないでしょう。

既にそういう時代に突入しています。

ライトワーカーとは、時代を先駆けて世の中を突き進む開拓者なのです。

【女性でライトワーカーにあこがれてなりたくなる例の分析】

この人の場合は、権威に対する執着の現れです。

実のところ、権威に対する執着と権威に対する信奉のとても強い人と言えます。

過去または現在権威によって抑圧されているか、抑圧されていた可能性が高いでしょう。

権威者とは・・父親、母親、夫などの可能性があります。

自分が権威でありたいとともに、権威者から認められたい欲が強い場合があります。

自らの意志で責任を取りながら世を渡っていくことにためらいのある人々が多いとも言えます。

この場合はライトワーカー宣言が自分自身を肯定することと言えます。

あまり権威にばかり気を取られていると、視野狭窄に陥る可能性があります。

もし蝸牛のように殻に守られて視野狭窄で一方向の光しか見えないとすれば・・・ある意味一つの光に向かって突き進むライトワーカーと言える可能性があります。

もし、現在行き詰っているなら、自ら殻を破らなければいけないはずです。

これが、真のライトワーカーになれる手段です。

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