お金が沢山有れば・・・・・
美味しい物がもっと食べられて・・・好きなところに快適な旅行に行けて・・・
大きな家に住めて・・・・異性にももっとモテるだろうし・・・親孝行もできる・・・
子供にも惜しみなく教育費をかけられる・・・
お金って庶民にとっては良いとこだらけのように見えますが・・・
でも、昔からお金では幸せは買えないと言いますし・・・
「お金」とは一体何でしょうか?
【答え・・現代のお金】
お金があれば何でもできるのは、ある意味事実です。
お金とは相手から何かを買う行為なので、お金で買えるものは、確かに全て手に入ります。
しかし、もしあなたがお金で何でも買えるならば、あなたよりも多くのお金がある人は、あなたから何でも買えることになります。
このことの意味を考えてみましょう。
今は、お金の使い方が制限されていて、日本の一般の店舗では円しか使えません。
しかしグローバル化した現代では、これからその制限が取り払われて行くでしょう。
例えば、ドルやユーロや元、ウォンは、日本国内で使えませんが、
近いうちに仮想通貨(ビットコイン等)が使えるようになるかもしれません。
そうすれば、世界中の物が日本国内に居ながらにして買えるようになるでしょう。
もし、購買の対象が人の命だったらどうしますか?
あなたは購入しますか?
すでに臓器移植で行われているかもしれませんが・・・
さらにもし、日本が国ごと財力のある外国に買われてしまったらどうなるでしょうか?
国が買われると国民は全員、外国の奴隷になります。
もしその外国が戦争を起こせば、真っ先に日本人が兵士として駆り立てられるかもしれません。
命すらも金で買われることになります。
現在、グローバル化によってお金の制限が取り払われつつあり、自分や他人のお金の使い道に制限がなくなるのは大変恐ろしいことです
【お金は使い道が大切】
お金というのは使い道次第で、その人の運が良くも悪くもなります。
「仏陀の時代」には、仏教修行僧はお金を貯えることを禁止されていました。
お金を持っていないので、食べるために托鉢も行ったのです。
当時は厳格な身分制度があり、商業や物流も発達しておらず、お金を持っていると必ず弱い者から物を奪うことになる社会体制だったので、歪んだ使い方をしがちなお金が修行の妨げになったのです。
当時、お金とは、相手から物を奪う権利であり、持っていれば強欲を働くことに直接結び付いた時代でした。
「現代」では、お金があれば一見何でもできるように見えますが、実は使い先は限られています。
当然、自分が関係を持っている先にしかお金は使えないのです。
だから日常どこに関係を持っているかが、非常に重要な問題です。
どんなにお金を稼いでも幸せになれない人は、使い先を誤っているのです。
つまりそういう人は、有効な使い方を知らない、ということになります。
言い換えれば、困ったことに負のカルマを作るためにお金を使ってしまっているのです。
有効ではないお金の使い方を「浪費」と言いますが、浪費は罪深く、本人にとっては不幸の種になり得ます。
本当に幸せになれるかどうかは、お金の多寡(たか)ではなく、どういう使い道をするかにかかっているのです。