天使は西洋の神様の御使い(みつかい)であり、狐霊は日本の神様の御使い(おつかい)です。
実は意外なことに、両者とも似たような立場の存在なのです。
そしてその働き方もほとんど同じなのですが、人から求められるものが全く違います。
【天使の場合】
天使の場合は「その人が他者から愛されること」を求められます。
特に個人主義の欧米の場合は、人が「自分が愛されていない・・」という孤独な感情を抱くことが多く、
そんな時に天使に助けを求めると、
天使は人が「愛のエネルギー」をキャッチできるようにしてくれます。
そうすると愛が枯渇している状態の人でも、愛されている感覚を得ることが出来て、満ち足りて幸福に浸ることが出来ます。
天使はその替わりに、その人の「精神エネルギー」を受け取ります。
その「精神エネルギー」とは、他者を愛するために使う予定だったエネルギーです。
本質的には、人は他者を愛すると愛されるようになります。
もし人から愛されたいのならば、自ら人を愛さねばならないのです。
天使から愛を貪った者は霊的視野がより狭くなり、日常に戻ったときには、より一層孤独になります。
天使から誠の愛を受け取ったとしても、その愛を使って正しく他者を愛さない限り、受け取った愛を貪り尽くしてしまうことになります。
偏愛は身を滅ぼします。
【狐霊の場合】
狐霊とは、よく神社にも祭られている、お狐さんやお稲荷さんのことです。
狐霊の場合は、人から「金品」を求められます。
その「金品」とは他人との関係において幸福を得たいという願望から来るものです。
狐霊は、望まれた金品を出来るだけ与えるために奔走します。
狐霊は人の喜怒哀楽に乗っかり、喜びのエネルギーを分かち合う存在です。
人をおだてて盛り上げ、喜びを何倍にも増幅させる存在です。
狐霊は楽しいのが大好きです。
だから人の喜びが溢れこぼれた一部を頂戴します。
人は、神様に願掛けして願いが叶うと、喜んでお賽銭やお供え物を沢山しますよね。
それを狐霊は喜んで頂くのです。
もし人が得られた金品を我よしのために悪用すれば、当然しっぺ返しが来るので、喜びが倍増した分悲しみや絶望も倍増します。
その負のエネルギーに関しては、狐霊は関知しないそうです。
狐霊「まずくて食えねえな・・」・・・と立ち去るようです。
悲しみのエネルギーは食えないので捨てるそうです。
そしてその捨てられた負のエネルギーは丸まま本人に返ります。
得た金品を有効に正しく(周囲の人とも喜びが分かち合えるように)使えなければ、周囲の不興を買ってしっぺ返しが来ます。
狐霊は、金品を与えてはくれますが、その使い方の全責任は本人帰するのです。