仏教・霊性・スピリチュアル

突然霊言で割り込んできたローマ・カトリックの聖職者が語ったこと キリスト教の神聖性と悪魔性、そして当時のカルマ

突然霊言で割り込んできたローマ・カトリックの聖職者が語ったこと キリスト教の神聖性と悪魔性、そして当時のカルマ

霊言が聞こえる能力者A(いつものチャネラーとは別人のチャネラーK)と筆者が、キリスト教について話していたところ、突然ある霊的存在Bが能力者Aに霊言で語り掛けてきました。

能力者Aがその存在Bの言葉を筆者に伝えてくれました。

非常に興味深い内容なので、後日いつものチャネラーに頼んで、そのことについて霊界の知恵者に意見を求めてみました。

以下、その過程を記します。

かつてローマカトリックの聖職者だった存在Bが、霊言によって能力者Aに話しかけてきました。

B「キリスト教の宣教師が布教をする時、個人主義の国で布教すると上手くいくのです。
個人主義の国(つまりヨーロッパ人等)は、騙されやすいのです。」

B「個人主義の国においては古来より個人を超えた存在が無く、人々はずっと心情的に孤立していました。
しかし神が現れることによって、自分たちが属する個人を超えた共通の世界を得ることが出来たのです。」

B「私は、ローマ法王と宣教師を取り次ぐ役目の者です。宣教師を教育する役割を担っていました。」

B「私は宣教師たちに、犠牲は必ず報われる、犠牲を払ったものは神に祝福される、と言い続けてきました。それを聞いた宣教師たちはとても喜びました。」

B「でも私は、実はそうではないことを知っていたのです。」

A「なぜそうではないことがわかるのですか?」

B「私には、霊的な能力があったからです。
その者(宣教師)の死後の世界を見ることが出来、報われていないことを知ることが出来たからです。
私は、送り出した宣教師たちがその後どうなるのかをつぶさに見てきました。
犠牲になった宣教師たちが天に召されなかったのも知っています。
彼らの布教には独りよがりの面があったのです。」

A「ではなぜ報われると嘘をついたのですか?」

B「それは、そう言うことが自分の役目だったからです。
そして宣教師たちは、報われると言われることをとても喜んだのです。
宣教師たちは、むしろ騙されることを喜んだのです。
それに神も犠牲を払うことを喜ばれたのです。
私は霊的な能力で、その神の喜びが分かったのです。」

B「私は、神に対しては決して嘘をつきませんでした。全ての真実を告白し、懺悔して神に赦しを乞いました。
神はそんな私を祝福して赦しを与えて下さるのです。私にはそれが感じられるのです。」

A「あなたは今はどんな状態ですか?」

B「私は現在、十字架にかけられて身動きの取れない状態です。」

筆者「それはイエスキリストと同じですね。」

B「いいえ、違います。
イエスキリストは、死後に十字架から降ろされたので解放されています。
でも、私は解放されていません。」

筆者「そうですか……あなたが伝えたいことは何ですか?」

B「キリスト教の神とは、神聖性と悪魔性の両方を兼ね備えたものです。
キリスト教において、人々は神の見たい部分(神聖な部分)しか見ないけれど、両面を見なければ神を本当に知ることは出来ないということです。私はその両面を見た者です。」

(チャネラーK)

【知恵者が語る、この聖職者と当時のキリスト教とカルマについての解説】

この聖職者が崇拝しているキリスト教の神とは、悪魔的な神です。

悪魔的な神が存在するためには、王侯貴族のような支配者と同じく、被支配者(農民、一般民衆)の同意が必要です。
被支配者は常に利益を欲しがります。
彼らにとっての利益とは、お金や食糧などです。

隣の村や住人の食糧や大金がうらやましく、欲しくてしょうがない……
でもそれを手に入れる方法が一般民衆には分かりません……
また一般民衆は、生きることに付随する諸々の問題の責任を持ちたくないのが常です。
利得は得たいが、そのために行動したことに責任を持ちたくないのです。

自分の利得のために行動したことの責任を回避したい……
責任回避の方法を知りたくてしょうがないのです。

自分から進んで残虐なことをするのが悪い事なのは知っています。

でも、もし神から言われてするならば、その行為は福音となるのです。

善良な隣人を殺すのは悪事ですが、悪魔の取り憑いた邪悪で危険な隣人を殺すのは、神の意に添った事なのです。

つまり神から悪事を働く許しが得られるのです。だから悪魔的な神になるのです。

神とは自分たちの影であり、悪事の責任回避をするための隠れ蓑です。

神とは、目を背けた自分の邪悪な部分であり、受け取りたくない(認めたくない)自分の負の部分です。

全てを神に委ねると全てが神の責任になるので、自分の罪が赦されるのです。

神とは自分たちの負の部分なので、当然悪魔的な神になるのです。

悪いことをするから逆に神によって救われるのです。だから救われるためには、悪いことをし続けなければなりません。

また、神の権威が高くなければ責任転嫁ができないので、神や教会の権威はどんどん高められていきます。

その権威の象徴として、教会は繁栄するのです。
人の原罪を引き受け続けることによって教会は繁栄し続けます。

筆者「この聖職者が十字架から早く解放される修行法等はありますか?」

【答え】

もしこれが誰かを殺してしまったような個人に特定される罪であれば、自分の想念を変えるなどの修行方法で解放されることもあるでしょうが、
これほど広範囲に大勢の人々に影響を与えていれば、個人の認識をはるかに超えたカルマになるので、とても簡単にはいきません。

個人で対処出来る修行方法は無いでしょう。

十字架に掛けられていること自体が修行となります。