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怒りを手放し、コントロールするためのヒント

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すぐに怒りが湧いてくる、まずいと思ってもなかなかイライラを手放すことができない・・・

そんな悩みはないでしょうか?

日頃からイライラしたり、怒りをため込み続けていると、心身ともにストレスが加わり続けて身体は疲れ果て、免疫力は下がり、人間関係にも悪影響を及ぼしてアレルギーなどの様々な病気にまでかかりやすくなってしまいます。

このような怒りを手放すためにはどうすればよいのでしょうか?

怒りが湧くのには、様々な理由がありますが、その内最もイライラが蓄積しやすい原因のひとつに、「間違いを裁く感情」というものがあります。

我々人間が社会生活を営み、秩序を維持するにおいて、間違いを正したり、過ちを冒す者を裁く、正しくない行いをした者を罰することは、非常に重要な活動です。

間違いを正さなければならない、という義憤に駆られる感情があるからこそ、我々の社会は犯罪を抑止し、安全と平和を維持することができます。

ゆえに過ちを責める感情、すなわち怒りというものはとても大切な感情です。

しかし、この本能に近い感情ともいうべき、「怒り」が暴走してしまうと、この本来の目的を果たせなくなってしまいます。

他人を意図的に害する、等の犯罪を犯す人を責める気持ちは必要な感情です。

しかし、怒りというのはちょっと義憤に駆られるだけで次々に湧いてくるようになっているのです。

レジ打ちの人が不慣れでいつもよりも待たされてしまったり、同僚や部下の仕事っぷりが気に入らなかったり、上司や家族から少し不当な扱いを受けた、裏切られた!と感じるようなことがあった等など。

自分の前の車が遅い!通行人が目の前に立ちふさがる!!・・・イライラする!!!

すこしでも「正しくない」と感じた瞬間から、もう衝動がわき起こります。

犯罪などとはまったく無縁ですが、私たちは簡単に他人に対して怒りをため込み、そして爆発させる機会を伺っているように見えます。


このように、日ごろから多くの怒りをため込む癖のある人は、「人の過ち」に常に焦点を合わせているものです。

そして、虎視眈々と「過ちを冒す者」つまり「獲物」を狩る機会を狙っているのです。

これは、「正義」という刃や猟銃を振りかざし、悪に対して「怒り」という弾丸をぶちかます「本能的な衝動」つまり「快楽」に嵌ってしまい、怒りという感情のとりことなり、怒り中毒のようになっている状態なのです。

「悪という獲物を正義の刃で刈り取る」という、ハンターのような快感を手放せなくなっている・・それがイライラの正体なのです。


イライラしている人は過ちを冒す人を責め立てます。

他者に怒りを向ける人は、相手が衝動に負けた結果として過ちを冒していると思っていますが、実は皮肉なことに「衝動に負けてしまっているのは、必要以上に他人を責め立て続けている自分の方」なのです。

そう考えると怒りを振りかざすことが滑稽に思えてきませんか?

我々は社会に反する者、正義に反する者を執拗に責め立てますが、実はそれは「本能による衝動」とも言えるのです。

この衝動が野放しになっている理由は単純で、社会からこの本能が発揮されることが許されているからに過ぎません。

この本能である「怒り」は「食欲」や「性欲」と同じレベルの感情です。

その衝動は本能によってコントロールされているため、その衝動がエスカレートして行き過ぎてしまうと、他人を傷つける刃物となり、社会全体にとってマイナスとなってしまうのです。

この本能に嵌ってしまう人は、「過ちを冒す他人を責め立て」、「過ちを冒しそうな行動をする自分さえも責め立て」、いつの間にか自他ともにがんじがらめに縛り付け続けなければ気が済まない、ある種「気が狂った」ような本能の虜になってしまいます。

自分が何のために怒るのか?怒ることが本当に建設的なのか?怒りというドラッグ中毒に陥っていないだろうか?

一度立ち止まって考えてみると、無駄な怒りはすっと消えてしまうものです。

何らかの理由で自分を不当に責め立てて、理不尽な自虐意識に苛まれてはいないでしょうか?

不当に他人を責めたいという快楽に溺れていないでしょうか?

怒りをなくすために必要なものは、気づきなのです。

気づきが深くなれば、災いをもたらす怒りはまったく必要なくなるのです。

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