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人が生まれ変わる時に選ぶ条件(2022年4月26日)

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【質問】

人が亡くなって、あの世に持って行けるのは、本人の「これぞ自分自身だ」と思える核の部分で、これを渇愛(タンハー)と呼ぶことを学びました。

そして渇愛(タンハー)とは、本人にも気が付けないほどの深層部分から24時間湧き出ている本人の信条のようなもので、これを指針にして人生が織りなされて行く、と学びました。

そして、来世ではこの自分のタンハーから積み上がったカルマを実行する人が、他人という形で現れる・・・そのカルマを解消するまで繰り返し現れる・・・と学びましたが、何故自分自身のような人が来世では他人として現れることになるのですか?

【答え】

人が自分自身の性格、人格、個性と確信している部分が渇愛(タンハー)です。いわば、それを失えば自分自身でなくなる・・とも感じる部分です。

そして人は、この自分の個性である渇愛(タンハー)を発揮することで、人生に充実感と生きがいを感じるのです。

渇愛(タンハー)とは、一種歪んだ欲でもあり、叶えられても次から次に際限なく溢れる終わりのない欲求でもあります。

この渇愛が発揮できなければ、人は人生に充実感が味わえず生きがいが感じられないので、生まれ変わる時にこの渇愛が発揮できる環境の人生を選びます。

例えば、「人を蹂躙して踏み台にし、その上に立ちたい」という渇愛を持っている人がいるとします。

そのための環境とは、「人を蹂躙して踏み台にし、その上に立つ」人が必ずいる世界です。つまり、自分自身のカルマが自分のような人を他人という形で出現させます。

するとその人は、「その他人を蹂躙して踏み台にした人を、自分がさらに蹂躙してその上に立ちたい」という強烈な欲求が沸き起こります。

ここからがこの人の本領発揮です。水を得た魚のように果敢に目的を果たすために突き進んで行くでしょう。

もし成功すれば、この上ない充実感と達成感で人生を謳歌することになります。

達成できなくとも挑戦すること自体が生き甲斐になり、再チャレンジへのエネルギーが湧いてくることでしょう。

だから自分の渇愛が来世の自分の環境を引き寄せるのです。

この同じ人は、仏陀のような人格者ばかりの世界に生まれ変わることは出来ません。なぜならそこでは魂の目的(渇愛)を発揮することが出来ないからです。その人が生まれてくることが出来るところとは、魂が持っている渇愛を顕現できるところだけなのです。

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