亡くなった人にとっては、お墓とは古着の倉庫のようなものです。
言ってみれば、自分が以前に着ていた衣類(遺骨)が保管されている場所なのです。
人は亡くなっても、いつもはお墓には居ませんが、子孫や関係者がお墓にお参りにやって来ると自分も会いに行きます。
普段はお墓だけでなく、縁のある場所や人のところに現れるものです。
また仏壇とは霊にとっては面会所のようなものです。
自分の子孫や知っている人が自分に会いにやって来るところなのです。
もし、生きている家族や子孫が全くおらず、お墓や仏壇が例えあっても全く供養されないような人の場合は、
生前の記憶が薄れていき、自分自身の生前の姿すら忘れてしまいます。
生きている人に面会する必要が無く、現世に全く執着が無いと、姿が変わっても何ら問題がありません。
亡くなった人は、遺族の記憶に残ることによって、自分自身も遺族の事を気に掛けると同時に自分自身の生前の記憶も保ち続けることが出来るのです。
世界中を見渡せば、中にはお墓を持たない種族もありますが、日本人にとってのお墓とは、生きている人のために存在すると言っても過言ではありません。
お墓によって人はご先祖様を意識して、家系を維持することが出来るのです。
ご先祖様を意識することによって、先祖から受け継がれる様々な伝承、しきたり、志、物理的な財産まで受け継ぐことが出来るのです。
だから先祖を偲び、供養を心がけたり、お墓を大切にする人には、当然のこととして家系からの加護が得られることになります。
そしてその姿を見て育つ子孫からも同じように尊重されるようになります。
一方、先祖を敬わない人は、当然お墓も仏壇も大切にしません。
こういうタイプの人は、生前も死後も子孫から大切にされなくなります。
もちろん家系の加護も得られません。
お墓というのは、子孫をまとめ上げる象徴となるものです。
いわば、その家系の錦の御旗のようなものです。
だから自分の家系を大切に思って栄えて欲しいと願うなら、お墓や仏壇に心配りをして家系の加護を得たうえで、
元気なうちに子孫に受け継がせるべき諸事の準備をすることが大切です。
その中には、日ごろから信条としている生きるための理念、生き様を子孫に見せることにより伝えることも含まれます。
死んでからもある程度は残せますが、物理的に動ける生前に準備をすることで、子孫に遺せるものが比較にならない位圧倒的に増えます。
ご先祖と子孫を大切に思う人は、心残りが無いように生前の元気なうちからしっかりと準備することが大切です。