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学校で虐めにあった時の対処法

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学校でのいじめの問題は、今も昔も解決の難しい深刻な問題です。

殺人にまで発展することも有り、閉ざされた空間での逃げることのできない問題にどう対処すればいいのか・・・

もし、自分がいじめられる側になった場合には、自分自身を守る手立てはあるのでしょうか?

【答え】

いじめの問題は、実は搾取の問題です。

強い権力を握っている方のいじめる側が、弱い立場である方のいじめられる側を搾取しているのです。

残酷ですが、いじめる相手を獲物か、敵か、害虫程度にしか思っていません。

だから、いじめる側といじめられる側が、和解することが不可能だということを肝に銘じなければなりません。

いじめる側は、相手を狩ること、弾圧すること、叩き潰すことにゴールを置いているのです。

そもそも和解などは不可能なのです。

猫とネズミを同じ檻の中で飼うことと同じです。

一方、いじめられる側は、学校において弱者であるという立場を変えなければ、その状態を抜け出すことは出来ません。

その立場を我慢して甘んじると、身を亡ばされるまで続くことになるのです。

自分自身の立場を変えることが唯一の抜け出す道となります。

ではどうやれば、弱者から強者の立場に変われるのか・・・

それには、いじめる側と敵対し得る者を味方につけて、対等か強者の側に回ることです。

残念ですが、いじめが放置されている時点で、学校は頼りにならない可能性が高いと言えます。

そんな時は、警察、SNS、メディア等に、いじめられている情報を流すのも一手段です。

ケースバイケースですが、とにかく頼れる存在を味方につける必要があります。

相手と同等以上の強い存在の権力を振りかざして、相手を威嚇しなければ勝ち目がありません。

そもそも虐める側は、いじめる相手と仲良くなどしたくないのです。

だから仲良くなれることなどを夢見ることは非現実的です。

もし、いじめられる側が、そのように適切に対処できない場合は、原因があるのです。

実は、いじめられている側が、個人として弱いのではなく、その立場に甘んじていることが最大の弱みなのです。

弱いことが悪いのではなく、弱者には弱者としての対処法があるので、身を守るために能動的に行動するべきなのです。

もしいじめられている本人が、是非ともいじめる相手と和解したい等と思っているとすれば、それこそが本人のタンハー(渇愛)(邪念)とも言うべきもので、

自分の「我(和解することが善であるという独善的な理念)」を周りに押し付けようとする非現実的な行いです。

(立場に甘んじることが家系のカルマになっている可能性すらあります。)

もし、和解できたとしても、当人にとっては、弱者の立場のままで、再び迫害される立場に甘んじることになります。

表面的に振り出しに戻っただけ、ということになりかねません。

【以下いじめ対処についてのまとめ】

①虐めそのものを無くすのは不可能

②社会や世論を味方につけて、逆に相手を威嚇する(虐めの事実をばらすこと)

③この時に、弱気になって敵の庇護に入って仲良くしたい・・などの衝動が起こってくるとすれば、それこそが本人のタンハー(渇愛)で非現実的だということを理解すること。

④虐められる人は、肉体的に弱いから虐められるのではなく、立場が弱いので虐められていると理解すること。

★虐められている時は、相手と和解したい等の不可能な願望を持たずに、相手と敵対し得るぐらいの強い立場を手に入れることが、問題を解決します。

★解決の一番の障害となっているのは、虐められている立場に甘んじようとする自分自身の欲望です。

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