チャネリング 仏教と瞑想

生まれながらの美醜とカルマの関係を教えてください。

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広い視野の魂的な観点から答えます。

生まれ変わりを何度も繰り返す観点から見れば、美しく生まれることは刹那的な一時的なことであり、実はそれほど重要なことではありません。

 もしあなたが大変な美人で、それを鼻にかけて周りの醜い人々を強烈に見下すならば、あなたは美女(男)と醜女(男)のどちらかに交互に生まれ変わる輪廻にはまることになります。

そして、醜女(男)に生まれたときにはその醜い容貌によって、前世で醜い人を見下した分の大変な苦しみを味わうことになります。

さらに自分自身が醜いにも関わらず、異性に対しては強烈に美醜で判断する、全く分不相応の態度を取ることになります。

この場合の醜女(男)は、たいてい先祖に大変な美人でその美貌によって分不相応な利得を貪った人がいて、その負債を子孫に残してしまった場合や、自分自身の前世がその美貌の先祖と同じ状況だった場合があります。

つまりこの例の醜女(男)は、先祖や自分の前世のカルマの負債を返すことになります。

人は、美醜にこだわりすぎると人の他の美点が見えなくなり、内面的な価値を捉えることが出来なくなってしまいます。

そしてその歪んだ認識から世の中は美女(男)ばかりが得をしているように偏って見えるために、醜い自分は損ばかりしている思い、その呪われた運命に大変苦しみます。

彼らにとって美人とは、一方的に楽して得する手段に見えます。だからそういう手段を持っていない自分が嘆かわしく、とても辛く苦しいのです。

 同じような大変な美人または醜女(男)であるにも関わらず、人を表面的な美醜で判断しない人たちもいて、彼女(男)らは美女(男)と醜女(男)の交互の輪廻のわだちには、はまりません。

つまり、美醜によるカルマが発生しません。

そして美貌を鼻にかけたり醜女(男)を見下したりしないばかりか、例え自分自身が醜女(男)に生まれてもさほど苦しむこともありません。

なぜならばこの場合の醜女(男)は、人の価値が表面的な美醜によって決まるのではなく内面がより重要なことを知っているので、彼女(男)の周り集まる人も同じように彼女(男)の内面の価値に引き寄せられる人々なのです。

そんな人々の間では、彼女(男)の醜い容貌はそんなに重要な問題ではなくなるのです。

このような醜女(男)は、その内面から滲み出る教養や品性から魅力的な人と思われます。

そしてその品性、教養は顔や肉体にも雰囲気として少しずつ刻まれていき、年を経るごとにさらに魅力が溢れ出るようになり、人を惹き付けるようになります。

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