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なぜ日本人は戦後極端な反戦主義になったのか?

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この件に関係する日本人の渇愛(タンハー)は、「批判したくないし批判されたくない」ということに関係しています。

戦後生まれの日本人は、教育によって戦争をした自分たちが悪者だと思い込まされているので、戦争を選択決定をした側の責任から逃れたいのです。

そのために戦争の決定した軍部や政治家に全ての責任を押し付けたくなるのです。

当時もちろん庶民も戦争に協力して勝ちに向かって耐え忍んでいました。

日本人が一丸となって協力して戦争に取り組んでいたのです。

その努力と犠牲にもかかわらず大敗を喫してしまい、全てを失って途方に暮れて、とてもその責任を取ることなどできなかったのです。

全てを犠牲にして取り組んだ戦争に負けて、空襲によって国土は焦土化し、大勢の人々が焼死して、身内からも戦死者を出して、最後に原爆まで落とされました。

自分たちも戦争の選択に加勢した結果とはとうてい信じられず、どうしても受け入れがたかったのです。

庶民は、上からの命令に歯向かうことなく従って、動かされてきたので、決して自分たちの選択などではなく、負けさせられた被害者だと思いたかったのです。

本当は軍部に反対することなく、寧ろ加勢したのは自分たちだったのです。

そのことを受け止めることなく、戦争に追い込まれざるを得なかった状況を顧みることもなく、ひたすら被害者になり軍部と政治家たちを悪人にしてしまいました。

だから敗戦の根本的な原因を探り、今後の糧にすることが出来なくなってしまいました。

そのために戦後、官民、マスコミを挙げて行き過ぎた反戦主義になってしまったのです。

これは、戦争に突入した時の状態に非常によく似ています。

コインの裏表であり、同じカルマの土俵に居ます。

そのカルマとは、「批判されたくない」カルマであり、大勢の意見を「批判したくない」カルマです。

全体の流れに逆らうことがタブーのカルマです。

出る杭は打たれて潰されてしまうカルマでもあります。

このカルマによって、例え国が潰れても反戦を押し通してしまうような極端なことになっています。

自分自身も一体となって戦ったにもかかわらず、当時の戦った軍部や政治家を悪としたので、他国から糾弾されても鵜呑みにするしかなくなったのです。

※どのような辛いことでもその現実から逃げずに真摯に向き合うと、他人から押し付けられずに自分自身で解決法を見出すことが出来るようになります。

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